情けは自分のためでしかない
■人間が人間であることの条件
50歳を超えて人生の終わりを意識するようになり、自分の未来に期待することもなく、何も求めず、何も目指さない境地に入っておりました。
誰かから必要とされるのであれば、できることは粛々とやろう。そんなスタンスで、ここ数年は雇われの身でありながら、気ままに過ごしてまいりました。
ただ、ここのところ、守りに入るのはまだ早いかなとも思うようにもなりました。
やはり攻め続けるというか、前に進み続けたいと願うのが、人間の本質なのでしょう。人間が人間であるためには、成長をやめちゃいかんということですね。
と言いながら、具体的に何をするのかが浮かばないまま、時間がサラサラと流れている今日この頃。ボチボチ動き出したいところです。
■ドラマに感化された日曜の夜
先日終わってしまいましたが、「日曜の夜ぐらいは・・・」というドラマを珍しく観ていました。
偶然出会った3人の女性が、カフェを造りあげていくプロセスを通じて、それぞれの生きがいを見つけていく。ゆるやかな空気間に、ついハマってしまいました、
最終回の最後の最後、それまでの癒しモードから、主人公の清野菜名ちゃんがぶっこんできた硬派なメッセージに、おじさんも心打たれました。
「今、2023年、令和5年にこの世界に生きてる人は、みんな傷だらけで戦ってる戦士みたいなものだと私は思う。全ての戦士達の心に休息を。せめて日曜日の夜ぐらいは」
たぶん、自分もこんなことをやりたいんだろなあと。前向きに生きようと踏ん張ってる人を応援したい。そんな場所を造りたい。
改めて自分の持っているリソースを考えてみると、やれることがありそうです。
■気持ちよく死ぬために
人を癒すことで自分も癒されるのも、この世界の真理です。安らかな最期を迎えるためにも、やれることをやり尽くしたい。
最終的に目指すところは、誰一人として置き去りにしない社会をつくること。
そのために残りの命を賭けて、一人でも多くの人に安心と希望を与えることができれば、割と気持ちよく死ねそうです。