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「生きがい」について考えてみた
■「生きがい」ってなんだっけ?
先日知り合いから、「生きがいを見つけるのが得意ですね!」と言われました。自覚はしていませんが、「どんな状況に置かれても楽しんじゃう」イメージがあるらしい。確かにそんなところはあるかもしれない。
はて、そもそも「生きがい」とはなんぞ? 戦後教育の弊害なのか、いったん英語で考えてしまうクセがあります。
reason for living とか purpose of life とか。
日本語に戻すと、「生きる意味」とか「人生の目的」とかになるけど、なんかニュアンスが違う。fulfillment in life 「充実感」のほうが、しっくりくるかも。
■ そもそも人生は苦しいもの
ともあれ、人からそんな風に見られるのは、それなりの生き方ができているのかもしれません。飢え死にする方が難しい世の中で、生きがいを感じて生きている人もいれば、そうじゃない人もいる。
その差はどこから来るのでしょうか?
物質的な現実、目に見える世界では、それほど大きな差はないと思うんです。となると、目に見えない部分で違いがあるんでしょう。ヒトコトで言ってしまえば、「考え方」です。
人生なんて、生まれてから死ぬまでずっと苦しみの連続です。そんなもんです。苦しみがない生き方なんて、もはや人生ですらない。
■「楽しく生きる」のではなく「生きることを楽しむ」
まずはその前提を受け入れることが、「生きがい」のスタートでしょう。たくさんの苦しみの中で、ときどき楽しいことや嬉しいことがあったりする。それを味わうのが、人生の醍醐味なんじゃないかと思います。
苦しみを避けて「楽しく生きる」のではなく、苦しみも喜びもひっくるめて「生きることを楽しむ」スタンスがあってこそ、「生きがい」が得られるというものです。
あらゆるものは表裏一体で成り立っています。ウラがあるからオモテがある。片方だけでは成り立たないのが、この世界です。義務を果たすからこそ権利を享受できるし、光が差せば影ができる。当然、苦楽も相即不離であります。
■「生きがい」についての現在地
このあたりの考えを心の根っこに持っておけば、与えられた環境に不満を持たず、人生をまるごと楽しめるってもんです。偉そうなこと書いてますが、この境地にたどり着いたのは、50歳を超えてからです。
それが、成長なのか老いなのかはわかりませんが、どんな場面でも自然体で楽に生きられているのは間違いない。そしてここにきて、もう一旗揚げようなんて気持ちも芽生えてきています。
それを「生きがい」と呼ぶのなら、それはそうかもしれません。