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観想詩「 (読み手にお任せ) 」 ないた きいちろう

読み手にお任せ観想詩:作者は「ないた きいちろう」(14分)
https://stand.fm/episodes/670339bc2803c125ec96ad9d

観想詩「  (読み手にお任せ) 」

観想する詩人 なた きいちろう

 まず はじめに「きみはスゴイ!」って思った 
 だって あたまも心もぐるぐる そして からだから涙があれる出るほどの「うずまき」の中にいるときに あの魔法の「」を手にしたんだって!?
 そして 問い直し 問い直し 問い直し そして ゆくてに光を放つことば「信頼」への見通しにたどりりついたきみ
 「スゴイ!」と思った

 きみの まさに見通しに向かう問い直しの「鏡」 その「りふれくしょん(未来へ反射や反響、反映した記録)」を何度も読んだよ
 下線を引きながら 
 すると まずは 三つの「問い」が浮かんできた 

 一つ目の問い
 今すぐじゃなくっていいから、あの「ライフヒストリーデザイン曼荼羅[1]」を描いてみないか?
 今ここで また起こったことを 長かった「時間・空間・人間(じんかん)」を鳥さんの目や虫さんの目、魚(さかな)さんの目[2]で見つめてみると
 あのときよりもっと深くて大きな「問い」に気づくことができるかもね

 二つ目の問い
 きみが書いた「私なり意味を何か見出さないと、意味を与えないと」というところを読むと これまで「小さなひと」や「元小さなひと」への〈おごり(指導)〉があったとすれば 〈おごり(指導)〉への気づきがきみ自身にも向けられているのではないかな?
「正しいこと言うときは 少しひかえにするほうがいい」[3]んじゃないかな 「見出さないと」「与えないと」なんて力まずにね
かつて室町時代に生きた世阿弥(ぜあみ)さんが書き残した「りふれくしょん」
離見の見/観客席におられるひとの目で舞台で舞うきみを見つめること」とか
目前心後/舞い上がっているきみをドローンにきみの目をのせて見つめること」とか 想像してみてみない?

 三つ目の問いは えっせんしゃる・くえすちょん
 ボクは「光を放つことば『信頼』への見通しにたどりついたきみ」って書いたけど
 今ここでふたたび「信頼って何だろう?」って問えるかしら?
 まさに、“えっせんしゃる・くえすちょん/Essential Questions” の一つだ
 直訳もあれば、意訳もあり、言い換えもあるけど どんな訳がふさわしいのか?
 たとえば ボクは 小さなひとにも「理解*」できそうなことば探してる
 「永〜く続く問い、それも深〜くて、広〜くてね」とかね
 「信頼って何だろう?」その問いにつながる宝石のようなことばを想い起こしてみない? あのフレイレさんが言ったっけね[4]。
 」-「謙虚さ」-「信頼」-「希望」-そして「別れ道に立って選べる道を広げ、深められる凹まず前向きになれる(critical/くりてぃかる)な思考
 そう 対話に必要らしい5つの条件 
 学びや暮らしの中にある「事/対象」との対話 「きみ/自分自身」との対話 「ほかのだれか/他者」との対話 そして 現在/いま 過去/むかし 未来/これから 流れ往(い)き来る「時」との対話をへて 再び 深〜い「きみ自身」との対話につながる

 もう一度 言うよ「きみはスゴイいっ!」って
 させる/させられる「ふりかえり」を越えて 心の底から「りふれくしょん(見通すための問い直し)」を究め 試み続けてきたからこそ
 小さなひとや元小さなひとたちと それを呼び起こし引き出す試みをしてきたからこそのこと あのご本も書いたでしょ
 渦巻く事のさなかにありながらも わが身に向かって 見通すために問い直す「りふれくしょん」をやってのけたきみ
 今ここで また 題名のないあの「観想詩」 読み返してるんだって? 
 今ふたたび 心底/しんそこから「スゴイ!」と思ってる

 さいごに 「観想詩(かんそうし)[5]」には 題名も解題もなかったね 
 それは 読み手が書/描くか 空白のままにするか それはすべて読み手にお任せの詩だから 
 きみは どんな題名をつけるのかな
 ちょっと楽しみ もちろん空白の題名もOKだよ

 じゃあ またね❤️

         2023.10.7 なた きいちろうによる改作版
「なた きいちろう」は初めて使う筆名です これは初版じゃありませんが
心は「初版」です それから気がついたかしら 句読点のない「観想詩」になっていること 
「  。」がハラスメントだと受けとめるグラデーション・エリアにおられる小さなひとたち/若いひとたちがいるということを知り 最近 句読点「  、。」を省いた文を書いてみようかなと思いました 
また 難しめの漢語やカタカナ語・英語をできるだけ避けて 言い換えてみました いつか小さなひとや元小さなひと その狭間におられるグラデーションの小さなひとにも読んでもらえるかも って思って 改作を試みました 
新しい注*
「理解」については「理解って何だろう?」(13分)をお聴きくださいね

2021/3/8記(初版再掲版

[1] https://note.com/narisen2017/n/ndfae2e28b915
[2] https://tokinomahoroba.blogspot.com/2020/04/diverse-perspectives.html
[3] http://www5.plala.or.jp/kappa_zaru/shukukonka.html
[4] https://tokinomahoroba.blogspot.com/2020/09/blog-post_20.html
[5] コロナ的状況の中で、「読み手にお任せ観想詩」は、「創作叙事詩・解題」を超えて、「創発(emergence)」してきた、言い換えるならば「ふっ立ってきた」概念です。
             (詩人/元東京学芸大学教職大学院・前自由学園)
付記
・stand.fm「信頼はどこで感じ、どこで受けとめるのか?」(2023/7/10、やく22分)
https://genkaikyoukaiekkyo.blogspot.com/2023/07/blog-post_10.html
・この「観想詩」は、自由学園 成田 喜一郎「Holistic Education/Care・越境する教育学 2021.3.9」より転載
https://tokinomahoroba.blogspot.com/2021/03/202138.html


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