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信頼を築くということ、ただ、違いを知っていくということ。一人一人個性があるだけで、優劣はないのだ。

私は片田舎で、
自由な学校と普通な学校で子どもたちと関わる仕事をしている。
そんな中で気づいた、あらゆることに共通して大事なことを、
この記事では書いてゆくよ。

2024/07/07

オルタナティブスクールに通う子どもたちと一般の学校の子どもたちでどこが違うのか。

2年間スタッフをした今、最も違いを感じるのは、
子どもの大人に対する信頼の深さだ。

お互いに信頼があれば、何でも話して、何でもやってみることができる。
信頼関係があって子どもが何でも聞いてくれるから、
なんでも教えることができる。

このオルタナティブスクールの環境自体が、
誰かと比べたり、優劣をつけたりしない環境だから、
自分はできないんじゃないかとか、あれをしたら怒られる、とか、そういうのにさいなまれなくてすむ。
なんでも言い出すことができる。

優秀な子とかダメな子とかじゃなくて、ただそれぞれに違いがあるだけなんだ。

そして、最初はだれだってできなくて当たり前で、何度か繰り返すうちにわかってくる。

このスクールに来て間もないうちは、間違えるのを恐れる子、やってみる前から、うまくいかないんじゃないかっていう子もいる。
でも、そうなんだ。
やってみたことないことは、間違えるもんなんだよ。
そして、間違えてもいいんだよ。
それを知った子どもたちは、やってみなかったことをやってみるようになる。
たくさん間違えることを許しているから、最初のトライを始めることができる。

そうして始めることができたら、次を焦ってはいけない。

始めたら、別に続かなくてもいい。
また、やりたくなったらやればいい。
一旦ほかのことをしている間に、そのことが整理されて、また始める時にはもっとうまくなっている。
突然うまくなることはない。だんだん、だんだんうまくなる。

そうしたらそのうちにそれが得意になって、自然と続くようになる。自然と、ずっとやってるようになる。


優劣をジャッジしないことは大切だ。
一般教育は、テストがあって、点数がつけられるが、それ自体実は、別に悪いことではない。
ただ、そのつけた点数に自分自身のへのジャッジが付随するのが、よくない。
点数はただの点数で、どのくらいできたかを示す数だ。
点が低かったからって、ダメな子ではない。
そのような、個性を持った子。なのだ。
それを自分の特徴として認める。
その上で、苦手ならやらなくてもいいし、
もっとできたな、と思えばやればいい。

小さいころ、学校でテストを返されるとき、
本当に嫌だったのを思い出す。
自分では今回はがんばって、よくできたと思って、持って帰って見せたら、そんなんあかんやん!100点取りや!といわれる。
また、勉強が全然できなくて、テストも全然できなかった時には、周りの友だちに見られるのも嫌だったし、そんな自分が恥ずかしくてたまらなかったし、家に帰って怒られるのは必然だった。

だから、自分は本当になんにもできない子だと思っていた。
生きる価値もない子だと思っていた。

それは、ちゃんとした大学に行った後もずっと思っていた。
自分は、なんにもできない子なんだ、と。自分の存在を否定していた。

でも、
そうじゃないんだ。
それは、できないところだけを見ていたから、
できていても、できないふうに評価していたから、
自分が、「できない」の一面しか認識してこなかっただけで、本当は
「できない」自分もいるし、それと同じくらい、「できる」自分もいたってことだったんだ。
その両方を、自分が知っていることが大事だったんだ。

それは、逆も言える。
誰かが羨ましかったりするのは、その、「いいめん」しか見えていないからだ。それを実際にやってみると、いろんなことが見えてくる。

そうやって、始める前から、いいと悪いをジャッジしないで、やってみて、知る。
これが大切。
これが、優劣をつけないこと(ジャッジしないこと)の本質だ。
こうして、違いを認めていく。
それが信頼につながる。



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