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やりたいことをやることと、コミュニティと、個人個人の間

私は片田舎で、自由な学校と普通な学校で
子どもたちと関わる仕事をしている。
そんな中で気づいた、あらゆることに共通して大事なことを、
この記事では書いてゆくよ。

子どもたちの自主性を尊重するスクール

私の勤めるオルタナティブスクール、まめの木は
決まったカリキュラムがなく、それぞれの子のやりたいこと、をやる。
やりたいことをやる中で、自分のやりたいことに人数が必要な時は、そのメンバーで話し合うし、
準備が必要な場合は、事前に予定を決めたりもする。
だからカリキュラムがなくとも、コミュニティとしてのリズムがある。

自分のやりたいことを実行するということは、結果的にいろんなことをしている。
大変なことも、楽しいことも。

自分のやりたいことをやるには、コミュニケーション能力が大事だ。
このオルタナティブスクールではそれが鍛えられる。

世の中にはいろーんな人がいる。
いろーんな人と話せれば、どんな状況でも、できる、道筋をみつけられる。

いろーんな人とかかわる中でなにか問題が起きることももちろんある。
このスクールでは、子ども同士でなにかあった時、当事者の意見も聞いて、周りで見ていた子どもの意見も聞く。そうすると、当事者同士が客観的になることができ、自分の行動を知ることができる。そうして、何が起きたのかを把握して、どうすればお互いが気持ちよく過ごせるか、を考える。

お互いが気持ちよく過ごすには、それぞれの「間」が必要だ。
それは、ときにお互いの距離を置くことだったりする。
いつも一緒にいることで、気の合わない友達とも仲良くしないとけないんじゃないかと勘違いしてしまうことはよくある。
でも、そんなことはなくて、
大切なのは、お互いの適正な距離を知ること。
それは、仲の悪い友達だけでなくても、自分の親しい友達との間でも、いえることである。
どんな相手にも、気の合う面もあれば、気の合わない面もある。
一人一人違って、全てが完璧に息の合うことなんてないし、
そして、別に違う道を選んでも大丈夫。

適度な間があれば、また出会った時に、良い関係で関わり続けることができる。

そんなふうにして
このスクールには
必要以上のルールはないが、人数が増えてくると、それに伴い、お互いの共通の了解が緩いルールとなっていく。時には、これを張り出したりすることもあるし、そうする必要のないものは、暗黙の了解となる。
また、張り出したとしても、そのルールはいつでも話し合いによって変更可能だ。そのような感じでお互いを尊重して、コミュニケーションがなされている。

何でもいいあい、
それぞれが協力したり、また時にはケンカしたりして、それぞれ、成長する。

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