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江東区芭蕉記念館(東京都江東区・森下駅)

松尾芭蕉といえば「奥の細道」で知られる江戸時代を代表する俳人である。むしろ俳句で松尾芭蕉の作品を知らない人はいないかもしれない。松尾芭蕉はこの江東区深川の地に庵を構えて、ここから全国のいろいろな場所へ旅に出ていたということで、江東区をあげて芭蕉をプッシュしており、その代表的なものがこの芭蕉記念館である。

江東区は古くからの江戸の名残を多く残している。芭蕉記念館の他にも、いくつも史跡や記念館のようなものがあり、江東区ではこれらをネットワークとして平行して推している。

芭蕉記念館は3階建てとなっており、1階は休憩所ならびに江東区に点在する記念館などを映像で紹介している。昨今の俳句ブーム(テレビ番組でも俳句を扱った番組があったりして人気が再燃している)というのもあって、閑散としがちなこういった博物館においても何人かの見学者が見受けられる。

展示室は2階と3階。階段を上ってまずは2階から。今回は俳句の歴史を辿る、というテーマである。

Take Freeの資料が膨大

古今和歌集の頃から俳句が担われ、江戸時代の松尾芭蕉や与謝蕪村、小林一茶などが勃興させ、それが幕末や明治・大正期に正岡子規や高浜虚子によって近代俳句へ。展示ケース内には近代俳句の作者たちが作った俳句が並んでいる。正岡子規、高浜虚子を筆頭に、村上鬼城、高野素十、河東碧梧桐、荻原井泉水といった俳人の活躍によって、やがて時代を経て水原秋桜子、石田波郷といった人物が台頭することになる。基本的にみんな達筆なのだが、中でも河東碧梧桐はかなりクセのある字体で、むしろ記号みたいな文字である。

右のが河東碧梧桐 もはや暗号レベル

夏目漱石など文豪にも注目され、俳人でない小説家でも句を作っている人がいたという。時代を経て尾崎紅葉や宮沢賢治などの作品もある。宮沢賢治が俳句を作っていたというのは意外だった。

3階に上がると、2階の展示室を上から見下ろすような形になる。ここでは「奥の細道」には多くの写本があるということで、その「奥の細道」の系譜があったりする。また、松尾芭蕉庵の模型などもある。

TV番組で有名な俳句の先生も訪れている

驚いたのは、こういうミュージアムには珍しく喫煙所が設けられていること。年配の人が多いのかもしれない。エレベータが無かったのだけれど、もし車椅子の人が来館しても良いように階段には昇降台がついている。このあたりは見学者の層によって考えられているのかもしれない。トイレは洋式。

小さな庭があり、植えられている樹にはそれにまつわる芭蕉の俳句が載せられている。お堂もあり、すぐ横には俳句の投稿用ポストも用意されている。

左手前の石は「古池や」とか彫ってある

庭から裏へ出ると隅田川沿いの道へ出る。そこからまっすぐ道なりに行くと、分館として屋上庭園へと行くことができる。こちらは分館とは言いながらも特に建物があるわけではなく、休憩所のような感覚で自由に出入りできる模様。園内には松尾芭蕉の坐像があり、隅田川をそっと見つめている。もちろん誰もいない。ゆっくりと芭蕉翁と対話しながら、川の流れを眺めるのも一興。

映えるが誰もいない


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