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北里柴三郎記念室(東京都港区・白金高輪駅)

新千円札の肖像画になることが決定している北里柴三郎。さて何をやった人なのかというと(大抵の場合そうなのだけれど)実際のところどんな人なのかよくわからない。というわけで北里柴三郎の名前を冠している記念室へと訪問してみるわけである。場所は北里大学の敷地内。そう、北里大学である。大学名にもなっているほどの人物なのである。

北里柴三郎とはいったい誰なのかというと、いわゆる「近代日本医学の父」と呼ばれた人物でペスト菌を発見して感染症の発展に大いに寄与したこと、まずそれだけでも実績として目を見張る中、それ以前にも破傷風菌の培養に成功したり血清療法を開発したりと、まず日本の医学になくてはならない人である。野口英世志賀潔といった後身が彼の研究所から羽ばたいている。その他にも多くの医学博士が彼の元で研鑽を受けている。

展示室の中は撮影NG残念

彼を語る時に師匠であるロベルト・コッホも挙げなくてはならない。北里大学の構内にはコッホ・北里神社もあるほど縁の深い世界的な細菌学者で、北里の功績のうち破傷風菌の培養や血清療法の開発はコッホの研究所にいた頃のことである。この功績から海外の研究所からも引っ張りだことなるが、国内の医療の発展を目指して帰国、福澤諭吉や森村財閥で知られる森村市左衛門らの支援によって伝染病研究所の所長として医学の発展に寄与している。また済生学舎(現在の日本医科大学)の創立者である長谷川泰らも彼をバックアップした。
展示室の中には彼のそうした交友関係の紹介をはじめ、彼の座右の銘である「終始一貫」「奮闘由来吾所期」の書や、zeissの顕微鏡、滅菌器であるコッホ釜、細菌培養器であるふらん器などが残されている。

柴三郎

国内に戻ってきてからは東大からの妨害に巻き込まれたりしながらも(北里は東大在籍時に師事した教授が発表した論文を否定したことでライバル森鴎外などから「恩知らず」という誹りを受けていた)、私財を投じて北里研究所(現在の北里大学)を設立し、現在に至るまで多くの医学者を育てることになった。研究所の所長にはノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智もいて、コーナーの一角で紹介されている。
不可能には理由があるとして常に原因を突きつめていった北里柴三郎の偉大な功績を知ることができる博物館である。トイレはなし。

北里研究所の旧本館 オシャレである

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