行基さんが見いだした? 山梨県勝沼 大善寺さま
ぶどう大好き! いつからあるの?
日本にぶどうが伝わったのはいつか?
ということの伝説のひとつに
「奈良時代に伝わっていたぶどうを、行基菩薩が山梨にて伝えた」
という伝承があり、これが奈良時代にぶどうが来ていたと、される根拠になっているのです。
まさかのぶどうを持った仏さま
じっさい山梨県にある「大善寺」さまは行基さんがご創建とされ、いらっしゃるみほとけはぶどうをお持ちになっています。
ただ、みほとけは平安時代の作ということで、行基さんが生きた奈良時代ではないというズレがあります。
奈良 西ノ京におわす薬師寺さんの薬師如来さまは、葡萄唐草の文様がついた須弥壇に座っていらっしゃいます。
また、『古事記』のなかで、イザナギが黄泉の国から逃げ帰る時に投げつけて発生した「エビカズラ」とは、ぶどうのことだと言います。
ぶどう酒にしていたかどうかはわかりませんが、ぶどうが古代から人々がふつうに食べていた果物ではあったのでしょう。
大善寺さまがあるあたりがぶどうの産地として栄えることを考えると、都にいた行基さんが、山梨にやってきたときこの場所がぶどう栽培に適していると見抜いて、ぶどうを作るようにすすめた…ということはあるかもしれません。
この大善寺さまに伺ってきました。
ぶどうを手にした薬師如来さまは5年に一度ご公開ということで、今年(2023年)がその年だというのです。
御本堂が関東でもっとも古い建築ということで、国宝指定されていました。
かつて52堂3000坊を数える大伽藍だったということで、往年の迫力があります。
平安時代のみほとけは、ふっくらしていた可愛らしいお顔。
いかにもどっしりとした平安仏らしいお姿です。
薬師如来様は眷属に十二神将を従えています。
こちらの十二神将は鎌倉時代の作で、仏師蓮慶がつくったということ。
慶の字がつくことでわかるように、あの運慶・快慶たち、慶派の流れをくんでいます。
慶派は鎌倉時代に大ブレイクするのですが、その盛り上がりが山梨県にまで波及していたのです。
神将たちはそのお顔がユニークで、中にはちょっと強面もいらっしゃり、おだやかな薬師如来さまと対照的でした。
山梨県 勝沼という土地の豊かさ
同行してくれた友人によると、このあたりは土地の高低差があるために、水田が作りづらい土地とのこと。
逆にそれを活かしてぶどうが作りやすいということ、雨が少ない環境がぶどうに適しているということです。
また川があることで、西は京都・東は江戸への流通も可能だということで、交通の要所としての役割も果たしたのでしょう。
本当にこの場所に行基さんが来たのかはわかりません。
しかし、行基さんの知恵でもってこの土地のポテンシャルを活かすものが次々と見出されたならば、行基さんのすごさ素晴らしさがますます光ります。
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