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自分で餅をついてみた

兼業農家で長いこと稲作をしていた実家で暮らしていた頃、年末の風物詩と言えば餅つきだった。

もち米は炊飯器ではなく庭で釜戸を使って炊く。祖父が改造した一斗缶で作った簡易の釜戸に釜をのせて炊くのがわが家のベーシックスタイルだった。パチパチと枯れた枝葉の燃える音と白い煙。
炊きあがったもち米は餅つき機に入れて、餅にする。平たい洗濯機のような餅つき機がゴウンゴウンとけたたましい音を立てて、搗くというより練り混ぜるように餅が出来上がる。餅つき機の蓋が透明になっていて、餅が出来上がる様子を眺めるのが楽しかった。
搗いた餅はそのまま食べずにのし餅や鏡餅の形に成形する。かなり古い記憶の中では、成形した餅は離れの物置の畳の上で乾燥させていた。片側一面が引き戸になっている、十二畳ほどの物置。父がまだ幼い頃にはお蚕に使っていたらしい。
懐かしい餅つきの風景は、大学進学と共に親元を離れてからは見る機会もなく。やがて農業のメインの担い手だった祖父母が高齢になったことを理由に稲作をやめ、餅を搗く量も規模も縮小してしまってからはいよいよ見られない風景となった。家で搗くのは、実家で食べる分と近い親戚に配る分と、帰省した僕に持たせる分だけ。しかしそれも、祖母が逝去したことで喪中のさ中にあった昨年末はその少ない分さえも搗くことはなかった。

「餅を焼かせるなら子どもがいい」とはよく言ったもので、僕もとにかく正月の楽しみといえばお年玉と餅、という子どもだった。
毎年正月の帰省では当たり前のように餅をもらってきたのだけれど、前述の通り喪中のため今回はない。なにもスーパーで買えばいいのだけれど、どうも餅は家で搗くもの、という頭になっているのか気が進まない。そんな時にXでふと、自宅で餅をついている方のコミックエッセイを目にした。

ボウルとすりこぎ棒を使って自分で餅を搗く!?なんだそれは楽しそうすぎるではないか。

「実家が餅を搗かないのなら、自分で搗けばいいじゃない。」
心の中で、イマジナリー・マリーアントワネットが貴族らしからぬ提案をした気がした。確かにそうだ。無いなら自分で作ってみればいい。そういうことだよな、正論アントワネット。

コミックエッセイによると、搗いた餅はどうやら冷凍も出来るそう。一緒に暮らしている最愛の人、ここではパートナーちゃんとかヨメぴなんて呼んでいる彼女はあまり餅を食べないので、余ることは明白。先に対策がわかれば安心して取り組めるというものだ。


そうして迎えた、年明け1月。出かける予定のない休日の昼食を前に、僕はもち米を炊いた。思い切って三合。絶対に食べきれない。

三合を一度に搗くのは一苦労のように感じ、とりあえず半分程度、ボウルにうつす。


それを水を付けたすりこぎ棒で搗きまわす。
ドドドドドドドドド

杵で餅を搗く様子を思い浮かべ、搗く途中で何度か棒に水をつけてみると、棒に餅がつかなくて搗きやすい。

ドドドドドドドドド
餅を搗く。
これは紛れもない、搗く。実家の餅つき機の動きよりも限りなく“搗く”に近い。

出来上がり。

もっと力が要るのかと思っていたけれど、やってみると実際はそんなに疲れるものでもないというのも新たな気付き。本当に手軽。


さて。食べてみよう。

出来上がった餅はまつたけの味お吸い物に入れて雑煮に。それとは別に僕は納豆餅、彼女はチーズをのせて醤油をかけて食べることにした。納豆餅は正義だ。これだけは覚えておいてほしい。見た目の悪さは認める。


……美味しい!!!!!!!
これは美味しい!!!!!!!!
まさしく……いや、紛れもなく今搗いたのだからそうなのだけど、搗きたてのお餅だ。
これを自宅でこんなに手軽に食べることが出来ていいのだろうか。バチとか当たらないか?当たるだろうこんな旨いもん。僕が神様なら当てちゃうかもしれない。バチ。しかしちょっとくらい、子どものいたずらなんかの悪事なら、搗きたてのお餅をお供えしてくれたらなんか許しちゃうかもしれない、それくらいの旨さがあった。
旨い。旨すぎる。恋焦がれる旨さ、それが搗きたての餅。
いわゆるのし餅や切り餅は、焼いて食べる。もちもちの触感が楽しく、しっかりとした食べ応えがある。
しかし搗きたての餅はもちもちではなく、ふわとろ。ふわとろなのだ。焼餅のような弾力がないので汁物に入れようものなら、さらにそのとろっとした触感が際立ち、口に入れればあっという間に消えてなくなってしまう。
刹那の幻。アリスが時計うさぎをを追いかけるように僕も白い餅を追いかける。食べれども食べれども絶妙な味わいが押し寄せては引いていく。その繰り返しに箸が止まらない。

餅をあまり好まない彼女はと言うと、
「これは美味しい!」
と予想外の言葉。
僕が実家から毎年持ち帰る餅を、「せっかくもらったから」と僕が半ば餅ハラスメントとでも言うかのように恒例行事として食べさせていた彼女の言葉とは到底思えない。

「これならいくらでも食べられる」
ほんの何分か前は、「どれくらい食べる?」という僕の問いに「あー……少しでいいよ」なんて答えていたのに。それが今ではいくらでも食べられると。

正直言って、こんなに美味しいなんて思っていなかった。
チクショウ、もうのし餅にも切り餅にも戻れそうにない。恐るべし、もち米。恐るべし、搗きたての餅。

この日の餅つきというアクティビティのために100円均一で購入したすりこぎ棒、定期的に活躍してくれる予感がしています。
親父に余ってるもち米分けてもらわなきゃ……

もうじき1月も終わってしまいますが、餅なんていつ食べたっていいのだ。
気になってくれたもち好きの方は、どうか紹介したXの投稿を参考に実践してみてほしい。
一緒に切り餅にものし餅にも戻れなくなろうではないか。



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椎名トキ
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