5/8 原子力災害伝承館で逆取材されました
0800
オハヨウゴザイマス。起きた。今日は忙しい。
0900
シャワー。準備。
1000
ユースのオンラインミーティング。
今日は、顔を出しているメンバーが少ないが全員出席している。楽しいね。そうは言いつつ、〆切とか色々ハード。いつも頼っているメンバーには頭が上がらない。
1100
ミーティング参加を端末に切り替えて、母方の祖母の車に乗る。1年半ぶり。父方の祖父母の家とはお別れ。祖父はこれから吹き矢に行くようだ。ばいばい。
1130
母方の祖母と祖母の妹と私の3人で、車で福島県双葉町にある原子力災害伝承館へ向かう。車中、バリケードで入れなくなっているボロボロの家をよく見る。
バリケード。
1330
着いた。
https://youtu.be/nUcdOM3WV58
0.055μSv/h(0.055マイクロシーベルトパーアワー)。
オンラインチケットで中に入る。
まず、語り部口演を傍聴したのですが、意図せずテレビユー福島から取材を受けてしまいました。(リンク先02’26”から)
https://news.yahoo.co.jp/articles/c5c4cb2aab453bcfcb523db6fe15fc23af21c671
約40分の口演と取材を終えて、常設展示へ。
入ってすぐシアター。
長崎の原爆資料館と造りが似ている。
長崎は、上から下に螺旋階段を下っていく造りだが、福島は下から上に登っていく作りだ。年表が外壁にある。
上まで登った。
遺構と福島の産業の紹介。ここの見せ方は、広島の資料館に似ている。
スクリーンに津波の様子が映し出される。
そのすぐ背後に、遺構が並ぶ。
遺構、と言うには、今の日常と地続きで展示するには違和感を感じる。
この資料館の良さは、いわゆる未来思考型の作りで、過去から遡って最後に未来を考えることが出来るところだ。
福島イノベーションギャラリーや、自分の理想の街をプロットする機械が出口付近にある。
そして、1番良かったのは語り部口演だった。22歳の若い語り部が、大変上手に当時の話をしてくださった。1日4口演あり、訪問者は生の声も資料館から得ることが出来る。こんな資料館は守っていきたい。
1600
こんな時間まで、2時間半じっくりと見ていた。一番の目玉は、やはり語り部口演会だった。以前訪れたことのある、TEPCOの第一原発廃炉資料館とは、作りが全く違った。こちらは、未来創造型のものだった。
あと、入口が長崎の原爆資料館と似ていた。
いや、館長が長崎出身らしいので、意図的に真似たのではないだろうか。そんなことを考えながら。
1610
道の駅なみえ。母の日のためにカーネーションを買って、普通にレストランでなみえ焼そばを食べようとした。すると、申請中の中国の大学から、今面談できないかとSkypeが来た。こんなの予定外だ。別に良いけれど、イヤフォンがない。スピーカーで、うるさく中国語と英語で10分ほどフードコートで面談した。なみえ焼そばは、冷めてもおいしかった。
祖母とおばさん、待たせてごめんね。
2000
母方の祖母宅着。運転ありがとう。1年半ぶり。母方の祖父の仏壇に線香をくべる。曾祖父と曾祖母はもう寝ている。
2100
団らん。しつつ、道の駅で面談した内容の書類を提出。
0150
やることがまだ終わらない。