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雁字搦めだった私の鎧

誰しも
何かしら鎧をつけて生きているのかもしれません。


私にもガチガチに固められた鎧を身にまとい

それが生きづらくさせているともつゆ知らず

理想の自分を今の自分として生きていました。


私は、料理はできないといけない。
そんな価値観がありました。


それは完璧に料理をこなす母を観て
あのように料理を完璧に作らないと結婚できない


愛してくれる人は出てこない。

そんな風に思って生きてきました。


だから、自分なりに料理を頑張っていました。



そして私なりの料理の形ができました。


それは、
添加物は取りたくない
なるべくリーズナブルで、尚且つ手軽で
健康的な料理。

買って食べるくらいなら、
パッとゆがいたもの。
そんなものの方がいい。
シンプルバンザイ!
手軽バンザイ!

私の料理はそんな料理です。
味は少々薄味だったり一般的な美味いといわれるものでなくていいのです。

なぜなら、私の第一としてるとこは
『健康的な料理』だから。
だから一般的に美味しいという料理とは違うと思います。

だから、人に提供できる品物ではないとどこかずっと思ってて、それは私自身に対して作るだけの料理なんです。


だから、例えば結婚して料理する
ってなったら、母の料理が基本の私は
作ってあげるのは滅相もない!恐れ多い!
という気持ちになるのです。


こんな料理誰が好きであろうか?
と。だから人に提供するのがどこかすごく怖い。
そんな自分がいることに気づきました。


でも結婚するということは、完璧な人に対して提供できる母のような料理を作らないといけない。

だから、イコール結婚は修行だ。と。


こうやって書いて整理してたら、とんでもなく苦しい人ですよね💦


でも本気で思ってたんです。


でももし、それが
私の料理をそれでもいいという関係が作れる相手なら。
もしくは、だったら作るよ!と喜んで作ってくださる相手なら。


もし、お互いの好きなことを
尊重しあって助け合って築いていける関係性で結婚生活を送れるなら

それはそれは私が今まで思っていた、結婚生活は修行じゃなくたちまち薔薇色になるんです。


私の、プライドと言う鎧が
料理はこうでなければならないというしがらみが、私を苦しめていました。


でも、そんな人に提供できないと思うような料理しか作れない私。
そんな私を認めるのがとてつもなく怖いんです。


結婚諦めろ!
と言われてるくらい。

あなたは1人で生きていくんだよ!
と言われてるくらい。


きっとそんなことはないはずなのに。


人は何かを何かの壁を越える時
自分の中では大きな大きな壁を認めて超える時
とてつもない恐怖なのです。


でも、きっとそれを越えれば
また違った景色が観えて
もっともっと生きやすくなって

新しい光景が広がっていくはず。


そんなことを思いながら
私は少しづつ不要な鎧を脱いでいくのです。

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