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まずはお昼にお昼ご飯を食べよう。

お昼ご飯が食べられなくても
急ぎの仕事を片付けるのは
全く苦じゃなかった。
昨日までは。

世の中には、「人助け」とか「善意の施し」みたいなことが頭に染みついて、それが自分の行動指針になっているような人がいます。
自分の利益よりも他人の利益を優先して行動する人は、とてもありがたい存在ではあるし、その行動自体は否定されることでもありません。
ただし、あくまで自分が人を助けたいと思ったとき、役に立ちたいと思ったときだけやればいいことなのです。
そのときの自分の意思に反して、本当はやりたくないのに、「人助けするべき」だとか「善意を施さなければ」というような義務感に縛られて行動してしまう。
これはいわば、自分を潰して人を助けるという「自己犠牲」です。

voicy「精神科医Tomyきょうのひとこと」

近い人からみれば、私は「自己犠牲の塊」だったようだ。
でも、自分では全く気付いていなかった。

そして今日、やっと気づいた。

「数字いれるだけでしょ?」

来週打ち合わせの契約書の下書きが出来たとの事。
テレワーク中の上司から作成依頼の電話を受けた。

月中~末にかけては一か月の中では一番忙しい。
業者さんへの振り込み、社員への給料など、
間違えてはいけない数字と、一人で格闘する。

そして、今日明日は銀行の振り込み指定日だ。
来週のお仕事を今ご依頼いただいても、優先順位は低い。
が、今週中には作成、返信と脳内で予定を立てた。

「数字いれるだけでしょ?」

そう。彼は2回言った。
簡単なことなんだから、すぐやれということだろう。
そして私は、すぐに依頼された仕事をした。
もちろんお昼は飛んだ。

自分を潰して人を助けるという「自己犠牲」

Tomyの言うことは図星だ。
やりたくないのに、義務感だけでやっていた。
その上、自分のことは後回し。
自分が自分を丁寧に扱っていないのに
他人が私を丁寧に扱うのだろうか。

急にばかばかしくなってきた。
なにやってんだろうって。
「数字をいれるだけ」が私の仕事だと思っている上司。
うわべだけ取り繕ってのありがとうは、言われた方は気づくもの。
そして、人の本音はちょっとしたところにうっかり出るもの。

まず明日からは、お昼休憩をとってお昼ご飯を食べよう。
私の世界。私が変わらなくてどうする。
もっと丁寧に自分を扱わないければ。

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