
『AIvs教科書が読めない子どもたち』#読書の秋2022
今年もこの季節がやってきました。今年こそ、課題図書の記事を書こうと思っています。
今回選んだのは、#AIvs教科書が読めない子どもたち です。
ネムさんの記事も書いたことがありますが、この本を選んでくださってとても嬉しいです。実は、この本2018年に初版が出ています。出版された当時、ちょっとしたブームになって、その時に読んでいたのですが、今このチャンスに再読してみました。
2018年から4年が経ち、学校現場では、コロナ禍によって一人一台端末が当たり前になり、教育のデジタル化が急速に進みました。その中で、私たちは、学校現場で子どもたちの変化を現実に目の当たりにしています。
子どもたちの読解力が極端に落ちているのです。
本や新聞を読めないどころか、教科書の文章を読んで理解することが難しくなっています。数学では、読解力と記述する力が問われる証明問題に手をつけられない生徒がとても多いです。このような子は、問題を読み取ることから困難を感じています。
「言葉で書かれていることを、図に書き起こす」こともできない。図形のイメージというよりも、言葉と図形の位置関係が結びつかないのです。
また、確率など、「言葉を介して概念を理解する」必要がある内容は本当に難しいと感じているようです。
読解力というのは、全ての教科、全ての学習の基礎です。ひいては、読解力というのは、世の中でうまく生きていくために必須の技術であるとも言えます。
非言語の意味するものを読み取る、相手の気持ちを汲み取る、相手の言わんとしていることを読み取る、全てが読解力なのです。
AIは、単純暗記の積み重ねで出来上がっている知能です。無駄を省き、最短で物事を処理することができるかもしれませんが、何もないところから、何かを作り出すことはできません。0から1を作り出すことができないのです。AIは、1あれば、そこからたくさんのものを作り出せる仕組みは出来ていますが、「無駄なもの」「無駄なこと」を何もないところから感覚で創り出すことはできていません。
これまでの学校というのは、AIに取って代わられる人材を育てることを良しとしてきました。しかし、世界がコロナを経験し、ポストコロナの時代、学校の役割というものを本質的に疑うようになりました。
私は、この現状から「学校の役割」というのが、どうも「無駄なこと」をたくさん経験する場なんじゃないだろうか?と思うようになりました。
思春期の子どもたちにとって、人間関係はとても煩わしいものです。紙の教科書を読むことも、好きでもない教科を勉強することも、部活動をすることも、宿題をすることも、恋愛をすることも。とにかく、「人と関わること」と「アナログな勉強をすること」は、「できるだけしたくない」「面倒くさい」ものだと思うのです。
でも、「無駄なこと」を経験しないと、ゼロから1を生み出す力はつきません。大人にとっては「くだらないこと」であっても、彼らにとって、一つ一つが「必要な経験」なのです。
本さえ読んでいれば「読解力」はつくのか?
答えはNOです。
大人になるまでに、どれだけ「無駄な経験」を積んできたかが、AIに負けない「読解力」ひいては「人間力」につながっていくのだと思います。
大量生産、大量消費の時代は終わりました。
そして、日本人の数は、劇的に減っていきます。
労働人口は減り続け、その質もどんどん変化していきます。
ナンバーワンより、オンリーワン。
その人の持つ、その物の持つ「ストーリー」を大切にする時代が
やってきます。
これからの人たちが、オンリーワンの人材となるにはどうしたら良いか。
これまで「無駄」と切り捨ててきた物の中に、宝物が埋まっているはずです。
「無駄」は、「遊び」の中から育ちます。
子どもたちを、もっと遊ばせてほしいです。
無駄なことを、体験させてほしいです。
もっと、失敗させて欲しいです。
一見遠回りのように見えますが、それこそが、
AIに負けない能力を育てるカギなのではないでしょうか。
それが現実世界であっても、バーチャル世界であっても同じです。
「私にしかできないこと」を、見つけるための場が、
「学校」であって欲しい。
目の前にいる15歳たちが、10年後どんな世界を生きるのか。
それを考えながら、授業をしていかなければいけないと
改めて思います。
「いくつになっても、読解力は養える」
この言葉を信じて、
10代の子どもたちに向き合える「読解力」を
私も磨いていきたいです。
#読書の秋2022
#AIvs教科書が読めない子どもたち
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