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モーツァルトの生家にて🇦🇹ザルツブルク

ご覧いただき、ありがとうございます!
ピアニストの吉村直美です♪

世界遺産の街🌏オーストリア🇦🇹ザルツブルクでの『音楽と旅』体験続きです。

🇦🇹ザルツブルクへ行った理由は、こちらからご覧いただけます🎹


◆モーツァルト生家への道のり

モーツァルトの誕生地は、ザルツブルク中央駅から徒歩で行ける旧市街に位置する場です。

モーツァルトといえば、クラシック音楽界には欠かせない巨匠作曲家の1人です。

親しみやすい美しい音楽作品と共に有名なのは、映画「アマデウス」
この映画を観たことのある方々は、モーツァルトの天才さだけではなく、天真爛漫で破天荒な性格が映し出されていることが、強く印象に残っているのではないかなと思います。

一個人の感覚にはなりますが、私の中では、映画「アマデウス」の印象は、音楽そのものから受けるイメージに収まらない感がして、やはり現地で何を体感してみたい想いもありました。

生家周辺の旧市街は、ヨーロッパ古風の外観が保たれていて、世界遺産の街を感じさせる雰囲気に溢れていました✨

至る所いらっしゃいました〜!
オーストリア🇦🇹ザルツブルク発祥チョコ菓子・Morzartkugel(モーツァルトクーゲル)です!

ただ、この時は、欧州も日本も30度越えの暑さで・・🥵
炎天下の中、母国に手土産に持ち帰ると、原型留めなくなることは、過去実証済みだったため💦
購入することすら諦めました(苦笑)😅

歩いているだけで、軽やかで可憐なメロディーが聞こえてきそうです♪

今回滞在した場からも、生家は徒歩で行ける範囲でしたので、遂に、行ってきました!!

生家に到着すると、夏休みシーズンということもあり人だかりでした😳驚

まあ、同じ場にいた方々からすると、私もたかっている人の1人ですから、何も言えません😅🙇‍♀️笑

なかなか入り口まで辿り着けませんでしたが💦『いつまたモーツァルト様にお会いできるかわからん。この機を逃してはならぬ😤』と自ら言い聞かせ、

少しずつ前進しながら、順を待って入場しました!

入り口の看板より
『モーツァルト生家博物館は1880年より存続しています。』(訳)
入り口の看板より(以下、ドイツ語からの訳です)

モーツァルトの生家
”ここで1756年1月27日にアマデウス・ウォルフガング・モーツァルトは生まれました。
現在、この家は、ヨーロッパで最も訪れられている博物館の中でも、
最古の建物の一つとして数えられています。
大変重要なオリジナルの家宝、そして、作曲家が所持した楽器のコレクションは、
モーツァルトの宇宙観の発見へと誘ってくれます。”

◆アシスタント君、モーツァルト(!?)への表敬挨拶

入り口に入るとすぐに、受付への階段が見えます。

ん?よく見ると、どなたかの視線が・・👀

もっと近づくと・・・

なんと、モーツァルト(LEGO)様がお出迎えくださいました‼️😍
最初にお目にかかれたモーツァルトは、想像以上に可愛らしくびっくり❤️

ここで、本旅のアシスタント君、登場です♪

🧸「ドイツ🇩🇪より日本🇯🇵を経由してまいりました。」
Mozart(LEGO)「ふむ・・・わざわざやって来たのか!?」
🧸「仰る通りでございます🇩🇪🇯🇵🇦🇹」
Mozart(LEGO)「ご苦労様!静かにするなら入場許そう!」
🧸敬服
🧸「記念撮影✌️」
Mozart(LEGO)「お主、目立ち過ぎではないか..!?」
🧸「一生に一度の表敬訪問なので、どうかお許しを!」

表敬挨拶果たしました🧸‼️

私自身は、写る機会が無かったため、アシスタント君にツーショットを
撮らせました😁
(妄想にお付き合いいただき、ありがとうございますm_m)

ということで、お許しを得たので(!?)
ここからは、生家博物館内の一部のみとなりますが、抜粋で掲載します!

◆モーツァルトの家系図

ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、約270年前オーストリア🇦🇹ザルツブルクで誕生しました🐣

当時は、神聖ローマ帝国領でした。

モーツァルト生家内の壁画・家系図です

ドイツ・アウグスブルク生まれでヴァイオリニスト&音楽理論家の父・レオポルド・モーツァルト

オーストリア・ザルツブルク生まれの母・アンナ・マリア・ヴァルブルガ・モーツァルトとの間に生まれました。

中庭です

◆モーツァルトが生まれたお部屋

私が、最も感動した場所でした。

なぜか哀愁が漂っており、天才モーツァルトの誕生を祝う喜ばしい雰囲気よりも、

決して幸せばかりではない運命を背負われた天才芸術家の宿命に追悼の意を捧げるような空気さえ感じました。

吊るされているのは、モーツァルトが実際に弾いたとされる子供サイズのヴァイオリンです。

そして、そのヴァオリンのすぐ下には、音楽家モーツァルトの宿命を表わすような三つの単語が刻まれています。

LICHIT (光)
LIEBE   (愛)
LEBEN (命)

(訳)と刻まれています。

この文字を見れただけで、ここに来た価値があったと感じました。

モーツァルトの音楽そのものだとも感じます。
心に深く響きました。

生まれた部屋でありながら、なぜかモーツァルト自身が作曲した『レクイエム』が最も相応しく感じられました。

短命だったとはいえ、生き延びてくれたこと、天国を思わせるような作品を多く残してくれたことに、ひたすら感謝しました。

◆モーツァルトの神童ぶり

音楽の才能は、父に見出され、3歳の時にチェンバロ、5歳の時に作曲を始めます。

若き頃のモーツァルトの肖像画

父とともに音楽家としてザルツブルク大司教の宮廷に仕え、親子でウィーン、パリ、ロンドン、ミュンヘン(ドイツ)およびイタリア各地に大旅行します。

『旅』がモーツァルトの『音楽』人生の基盤になったといわれるほどです。

旅先の礼拝堂で聴いた多声音楽を、暗譜で書き記したといわれ、ほとんどの音楽教育を外国または旅行中に受けたそうです!

当時のザルツブルクが描かれた絵画です。

ザルツブルクには、25歳になるまで住んでいました。

◆モーツァルトが弾いていた時代の鍵盤楽器

現代の鍵盤楽器のメインであるピアノは、当時は、まだ存在していませんでした。

モーツァルトが生きていた時代は、現在のピアノの前身となる、チェンバロ < クラヴィコード < ピアノフォルテがメインに演奏されていました。

クラヴィコードです

当時、主流だったチェンバロに比べると鍵盤数が少なく、音量も小さく繊細で、テーブルの上に置いて弾ける鍵盤楽器です。持ち運びもできますし、いろいろな場所に置きやすく、ある意味、利便性は現代のピアノよりもあるように思えます。

ただ、音色の幅に関しては、現代のピアノのような多彩さに比べると圧倒的に劣るため、昔の楽器として扱われるようになっていったようです。

フォルテピアノです。
フォルテピアノ、鍵盤が無い側から。

現在のピアノと同様、フォルテピアノは奏者のタッチによって音の強弱に変化を付けることが出来きますが、音の響きはより軽快で、長くは響きません。そのため、フォルテピアノも、また過去の楽器として扱われるようになっていったのでしょう。

どちらの楽器も、触れることは禁止されていましたので、生の音色は聞けませんでした。

(ですが!この数日後、偶然にも、ドイツ🇩🇪ハンブルクで演奏する機会を頂きました!ご報告は後ほど🎹)

◆オペラ『魔笛』

モーツァルトのオペラの代表作ともいえる作品『魔笛』の展示も印象的でした。

オペラでは、試練を乗り越える象徴でもある魔笛
夜の女王とザラストロ

当時のオペラ舞台の模型を観ることができ、現在とは、また違った雰囲気であったことも伺えます。

オペラ『魔笛』は、モーツァルトが亡くなる年に作曲され、仕事がなく窮地に追い込まれていた時に依頼を受けて作られた作品です。

作曲が完成した3ヶ月後に亡くなっていることから、集大成ともいえるオペラです。

◆モーツァルトの最期

モーツァルトの死に関しては、『魔笛』に関わる暗殺説や陰謀説など、いろいろと囁かれていますが、天界を感じさせるような純粋な音楽を残してくれたことには、変わりないと感じます。

モーツァルト死の直前が描かれた絵画

晩年は、恵まれていなかったようですが、モーツァルト本人も、きっと今では、音楽が演奏させ続けていることを、驚きながら喜んでいるのではないでしょうか。

🎹『音楽と旅』リサイタル編のお知らせ

大変好評をいただいております『音楽と旅』リサイタルシリーズの第10回目が、
2024年12月6日(金)東京都内で開催が決定しました🎹

前回の公演終了直後に、来年(2025年)開催予定を公言していましたが、オーストリアでの出演に関するリサイタルを望まれるお声をいただくようになっため、本年内の出演が決定する運びとなりました。

画像をタップ / クリックすると、ご予約・ご購入サイトへと移ります。

ザルツブルクで体感した音楽の音色とお話もお届けできればと思いますので、楽しみにしていただければ幸いです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

『音楽と旅』世界遺産の街🌏オーストリア🇦🇹ザルツブルク編続きます✈︎

ピアニスト 吉村直美
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