キャリア50年キャプテン翼 脚本家 三宅直子

30歳の主婦からテレビアニメやドラマを400本執筆、以後50年。 80代現役カルチャ…

キャリア50年キャプテン翼 脚本家 三宅直子

30歳の主婦からテレビアニメやドラマを400本執筆、以後50年。 80代現役カルチャー教室講師。 オンライン書き方講座開講中。 趣味は能。映画。 『好きなこと見つける魂のアンテ術』好評、出版中。

最近の記事

脚本裏話アニメ篇①キャシャーン

これまで私が書いてきた脚本のあれこれの裏話をしていこうかと思っています。 その① タツノコプロ制作の『新造人間キャシャーン』 は、『ガッチャマン』がヒットしたSF物の第2段として作られたと聞いています。 新造人間とは、  生身の人間を不死身の体に改造され、地球滅亡を目論む悪と戦う主人公のこと。 やや暗目の設定ですが、地球を人々を平和を守る強い意志をもつ主人公キャシャーンの活躍を描く内容で SFロマン・アクション としてあります。  キャシャーンとルナ、犬の ブレンダーの

    • シナリオで繋がった20年

      つい先日、韓国留学生と20年ぶりの再会をしました。 彼女は私が専門学校でシナリオ講座を担当していた時の受講生でした。 20年も経つのに、私のことを忘れずに、昨年韓国からメールをくれたのです。 このほど日本にやって来て、彼女が会う場所と時間を決めてくれました。  日本語はほとんど不自由なく話すこと書くことができます 彼女は50歳独身、韓国で書く仕事をしていて昨年、ミステリー小説を刊行。次の小説を構想中という。 20年前に私の課題で書いた作文とシナリオを持参してくれま

      • 都心の古里は私の原点

        読売新聞ぷらざ欄に私の投稿文が載りました。 昔暮らしていた町のお祭りに行った時のことです。  三田の慶應義塾大学の隣にある春日神社の祭りです。 私の従姉妹が近くに住んでいます。 私も戦後から20年暮らしていたので懐かしい所なのです。 町内それぞれの名入りの半纏を着た大勢の人で熱気に溢れていました。 昔暮らしていた町を辿っていくと、幼い娘が遊んだ公園も昔の美容院もありました。 思えば私はかつて8歳から20年をこの小さな町で暮らしたのです。 思春期も青春期もこの町で

        • シナリオはゴッコ遊び⁈

          長年、シナリオを書いてきてゴッコ遊びだと言えると思いました。 脚本・シナリオはセリフで人物を表現するので、 何人もの人物を書き分けなくてはなりません。 つまり、いろんな人物になってセリフを言う訳です。 ママゴト遊びを一人でするのと同じ。 お母さんになったり、お父さん、子供になったりします。 シナリオでは男、女、大悪人、絶世の美女、犬や猫にも なって、それぞれのセリフを書かなくてはなりません。 なのでゴッコ遊びと称する訳です。 それがシナリオを書く楽しさでも苦しみでも

          プロの道に立ち往生⁈

          やっと初仕事となり張り切ったのですが、 そうは問屋が卸(おろ)さない。つまり簡単ではないということです。 原作のピノキオはコッローディ作の童話ですが、かなり分厚い本でした。 木の人形が本当の人間になるにはどうするのか? そのテーマを「樫の木モック」でも踏まえて、ピノキオつまりモックが人間になるまでの様々な冒険を、アニメとして制作していくのです。 ですから、単に面白おかしい話を考えてもダメなのです。 先ず、あらすじを書いて提出します。すると色々とダメ出しが言われます。

          エプロン作家誕生す

          さて、いよいよ脚本家としてスタートです♪ 「根雪」が大賞を獲った時、 読売新聞から取材が来て、  「エプロン作家誕生」と 紹介してくださったのです。 主婦ライターという意味で、娘は小学生と幼稚園児で家事と子育ての日々でした。 ここで脚本の書き方をお話しましょう。 脚本とシナリオは同じことですが、シナリオはおもに映画に使われます。 脚本は小説や作文のような文章の書き方とは違って、 セリフ、と、ト書きで書いていきます。 人物が喋るのがセリフ   花子「おはよう」 

          初仕事は「樫の木モック」

          初めて書いたテレビドラマが佳作に入選。世の中に認められたように思い、シナリオを学ぶ決心に。 シナリオ作家協会の研修科に入りましたが、挫折。 平凡な人生の主婦には書きたいテーマがないのです。 悩んでたどり着いたのは、 平凡な人生にも様ザマな苦難や喜怒哀楽がある。それを私のテーマとしていこう。 けれど翌年も、次の年もコンクールは空振りでした。 これがダメなら諦めようと3年目に応募したテレビドラマ「根雪」が大賞をゲット‼️ nhkの放送記念日にドラマ放映になりました。

          アニメ脚本400本 

          本箱を整理していたら、分厚いファイルが出てきました。 かつて脚本を書いていた時の作品がまとめてあったのです。その数、約400本。 アニメを何本も掛け持ちしていたので、自然にそんな数になります。 アニメやドラマのタイトルを言うと、  「あ、知ってる」と思い出してくださいます。 友人が、それだけの実績があるなら、そのノウハウを伝授しないともったいない、 と言ってくれました。 それで、私もまだ元気なうちに、脚本を書きたい人の後押しをしようと思いたったとこです。 これからぼ

          87歳SNSデビュー❗️

          今や、人生100歳時代。 私は87歳。幸い元気なので もうひと踏ん張りしてみます。 というのは、子供のころから書くことが好き。その思いを抱き続けて、30歳の主婦から 踏ん張って脚本家にチャレンジ。プロデビューしました。 書いた作品はアニメ、子供主演のドラマなど400本。 そのタイトルの名を言うと あ。知ってる! とよろこんでくれます。 どうやってアニメが作られるのか、裏話を聞きたい、とい う声もありました。 そういう話をこめて、脚本の書き方の話をして行こうかと考えてい

          美食家ダリのレストラン⁈

          美食家ダリのレストラン、という映画がスペインの観光地 カダケスを舞台にしているというので、娘二人とワクワクしながら観に行きました。 カダケスに、知り合いの日本人の画家が今も暮らしているので、どういう所か知りたいと思ったのです。 その画家とは50年前、娘たちが幼い頃、お絵描き教室に通っていた時の先生でした。  先生は画業を極めるため、パリに行かれ、更にスペインのカダケスに、ずっと画家として住んでいられるのです。 先生が2年前に日本においでになった時、娘たちと再会すること

          人生は50才から再スタート

          このほど、インスタで音声ライブを始めました。 タイトルは 「人生は50才から再スタート」         生涯現役三宅直子87歳 として、私自身の実体験からエールを込めて お話していきます。 30歳で、長年の夢だった書くことで世に出ることが出来ました。その時は二人の子を持つ専業主婦でした。 夢を叶えるまで時間がかかりました。 何しろ10歳頃から、いつか物を書く人になりたいと思ったのですから。 87歳の現在までと、脚本家の歩みを話していきたいと思います。どうぞお楽しみくだ

          再びフィールド・オブ・ドリームス

          3年ほど前にこの映画について書いたのですが、8月11日に BSで放映されて、また観ることが出来ました。 やっぱりいい‼️ 何度観ても胸に迫ります。 私の持っているDVDにメイキングが収録されています。改めて見て、この映画が出来るまでの経過が分かります。 監督のロビンソンが自ら原作の小説から7年かけて脚本をたち上げ、映画化の企画をあちこちに持ちこむも実現せず、自分で監督することに。 配役もケビン・コスナーに脚本を送ってOKを得ることから始まる。   原作者との交渉。 撮

          脚本家はつらいよ!

          映画や観劇が好きてシナリオライターを目指して、主にテレビアニメや子ども主演のドラマ脚本を書いて来ました。その数400本ほど。 でもアニメやドラマの題名は知っていても、脚本の存在も知られていないのが実状。 かつて主婦友達が、 「えッ、アニメってマンガでしょ。マンガをそのまま絵にすればいいんでしょ。脚本があるの?」と言われました。「おはよう、さよなら」も全部脚本に書くのだと言うと、 「へぇッ、俳優が好きに喋ってるのかと思った」 と言うので、こっちがへぇッ となりました。

          本と映画は栄養剤

          美味しい物は好きだけど、それほど食べることに興味はないようなのです。 読むこと観ることには、尽きぬ想いがあり、私の生きる栄養剤になっています。 またまた、いい本に出会いました。 一つは、街の本屋さんの話。我が街も本屋さんが消えて、駅ビルの大手の書店だけ。 この本は、ユニークな個人経営の地方の本屋さんの、起業から、発展を繰り広げ、社会現象までになって、営業を閉じるまでを、ご本人がありのままに綴ったドキュメント。 たかが本屋、されど世の中にあるべき本屋。 地域に一軒の本屋

          父の夢は紙ピアノに託して

          今日は父の日。感謝を込めてお線香を上げた。 スケッチは中学の私が父を昭和27年1952頃に描いたもの。 今も父に聞きたいことがある。      * 駅の構内に置かれたピアノを見ると足を止めてしまう。 私は小学生の時にピアノを習っていた。 太平洋戦争が終わった頃のことである。 東京の目黒で父と母、私8歳弟2歳妹1歳で暮らしていたが、20年5月の空襲で家は消失。湯河原に疎開して終戦を迎えて10月に東京に戻った。 港区にあった父の機械工具店の事務所は商店街の都電通り でそこに住

          脚本に命を込めて

          橋本忍という脚本家の名前はご存知ですか。 「羅生門」 「砂の器」「八甲田山」 などの数々の脚本を書いた方です。 橋本氏の生前に密着インタビューしたものと、映画制作の  裏話のドキュメントの本作は 迫力があり、深い感銘を受けました。 物を創作することの、人と人の切迫した空気が伝わって来ます。 映画を観る側にはわからない世界ですが、多少は私なりに脚本を書いてきたので、肌にヒリヒリするような現場の空気が想像出来ます。 昔、私が脚本の世界に足を入れ始めた頃、橋本氏の話をシナリ