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想像力は記憶を超えられるか

私達は記憶にあるものしか想像できないのだろうか?

「記憶」とはもうすでに体験したり、見聞きしたり、知っていることを指すが、記憶している範囲でしか想像できないのかと思うと、極めて狭く感じる。

 自然療法で視力を改善するベイツメソッドの創始者、ウイリアム・ベイツ氏によると、 「想像力は記憶に帰依する。なぜならば、あるものやことは、それを思い出すことが出来る限りでのみ、想像することが出来るからである」("The Bates Method for Better Eyesight Without Glasses") 

ベイツメソッドでは、記憶、想像力、心、視力は密に繋がっているとする。記憶や想像力を使って心をリラックスさせ、目が本来持っている可能性を取り戻させる訓練だ。覚えているものをどれだけはっきり想像出来るかで、視力の回復度が決まってくるが、ベイツメソッドでいう記憶や想像力は、「自分が知っている、実際に体験した」範囲にとどまる。「想像力」が無限だと思っている私は、ちょっとがっかりしたのだが、もう少し探ってみたくて、ベイツ・メソッド講師のカルロスさんに聞いてみた。

 『視力が損なわれている人が、見たことや経験したことのないものを見た時、つまり記憶にないものを見たときは、想像ができないので、はっきりとは見えないと言うことですか?』『そうですね。視力が損なわれている人は、じっと見つめるので、目が緊張して、はっきりとは見えないし、見ているものが何であるか、わからないですね。』(ベイツメソッドの基本は、視力が損なわれている人は、じっと焦点を絞って見つめる癖があり、ストレスがかかるので、心も目が緊張して見えにくくなると言うもの。) 

『では、普通の視力を持っている人も、見たことがないものは、見えないんですか?』『普通の視力の人は、記憶にないものを見る時、じっと見るのではなく、目を細部にシフトさせてなんとなくそれを理解していくんです。なので、記憶になくても見えるし、何であるかがわかります。』

 ふーむ。そうなのか。私達が何かを見るとき、目で見るのではなく、脳で見るので、なんとなくは理解出来る。見たことはなくても、今までの記憶を使って、想像し、理解するということだな。それにしても、ベイツ氏によると、正常な目、視力を持った人はいないというので、フルな記憶と想像力を持った人はいないということか。

しかし、まだ「記憶」と「想像力」の関係に関しては、納得がいかない。「思い出すことが出来る限りでのみ、想像することが出来る」のなら、想像力は自分の記憶を超えることはないのか?

催眠療法を使うセラピストのジャック・ツルー氏によると、彼のセラピーで患者に行ったことも見たこともない場所、人を想像させるセッションを行ったところ、治癒したい症状が回復した上、視力が上がり、コンタクトレンズの必要性がなくなったケースがあるという。 

ツルー氏のセラピーでは、軽い催眠状態でリラックスした患者は、全く知らないことを微に入り細に入り鮮明に描写する。想像の中で、細部を観察し、意味があるなしに拘らずどこまでも自分が想像したものの中に入り続ける作業で、今まで見えていなかったものが見えるようになるらしい。 

なるほど。しかし、まだ納得できない。自分で体験していなくても、どこかで読んだとか、見たりしたこと、記憶に残ったことを元に、想像しているのかもしれない。この点に関しては、ツルー氏によると、自分が本当に見たことがあろうが、なかろうが、セラピー上では、全く関係がないという。患者が細部まで想像する行為が、彼のマインドコントロールを解き、現実が見えるようになる、そのために症状が回復するのだ。

全く見聞きしたことがないことを語ると言うケースは存在する。小さな子供が知っているはずもないことを細部に渡って語り始めるとか、身体的にある衝撃を体験した後で、未知の世界のことを語り出すとか、全く知らない土地や場所に行って、なぜかその区画や街並みを細微に渡って知っているなど、飯田史彦『生きがいの創造』やリサ・ランキン医学博士の『Fear Cure』を始め、多くの記録に「前世の記憶」として記されているところである。

では、知っていることでも「前世の記憶」でもない、全く未知のものを想像することは不可能なのか?

 パフォーマンスでは「即興」という形態があり、もうすでに作り上げたものを演じるのではなく、瞬間瞬間に起こってくることを形にしていく方法をとる。「既存観念を打ち破る」意図で始められ、自分の癖や従来の作り上げたものを超えて、瞬間瞬間を形にしていく。中だけでなく、外の世界が多分に関わることによって、「自分」ではないものをダンスで表していくのだが、これとて「身体の記憶」に基づいて想像していると言える。

未知の自分を踊りたいのは山々だが、これほどまでにマインド、ボディに刷り込まれている存在が、一体「未知の領域」を想像するのは可能なのだろうか?催眠状態とか、フローとか、ゾーンに入っても、どこまで行っても自分の記憶の中にあるものしか想像できないのではないのではないか?

 いや、もしかしたら、私達が「記憶」などと呼んでいるものからして、制限がかかっているのかもしれない。もし私達の存在が、果てしなく広がる「意識」で、全ての物質と繋がっているのであれば、動物や物の記憶にだってアクセスできるはずだ。そうすれば、自分の記憶のみならず、彼らの記憶からの想像力も湧いてくる。

 体が自然体に戻っていくとき、人はよく、「ああ、この感覚、覚えてる。何かずっと昔にあったような。。。」という表現をする。「ずっと昔」というのは、子供の頃かもしれないし、胎内記憶かもしれない。いや、そのずっと前の前に遡り、まだ地球というものが存在しなかった頃の記憶かもしれない。

 こうして考えていくと、やはり、人間の「想像力」の可能性は無限だと感じる。私たちが際限ない記憶の海にアクセスさえできれば。



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