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『逃げても、逃げてもシェイクスピア――翻訳家・松岡和子の仕事』書評

図書新聞3648号に、『逃げても、逃げてもシェイクスピア――翻訳家・松岡和子の仕事』の書評が掲載されました。
コロナ禍前のことですが、ナショナル・シアター・ライブ(https://www.ntlive.jp/)でシェイクスピア劇が上映されるたびに、その芝居に関するトークショーが東京大学で開かれる、ということがありました。誰でも参加できて、なんと無料。これは聞かなきゃ損、とばかりに何回か聴講に行きました。その時に目をきらきらさせて楽しそうに話される松岡和子さんを見て、なんて魅力的で情熱的な方なんだろうと思っていました。
今回この本を読んで、松岡さんが自らの手で運命を切り開いてきたこと、そして新訳を出す上でどのような工夫を凝らしてこられたのかを知り、改めてその偉大さに圧倒されました。英語が好きな方、シェイクスピアの芝居が好きな方は、ぜひ読んでみてください。
図書新聞の許可を得て、書評を掲載いたします。


 二〇二一年五月、『終わりよければすべてよし』(ちくま文庫シェイクスピア全集)の出版をもって、シェイクスピアの戯曲全三十七作完訳という、松岡和子の二十八年に及ぶ旅はいったん幕引きとなった。
シェイクスピアの戯曲が日本に紹介されたのは明治時代のことで、以来、多くの人々がその翻訳に携わってきた。しかし、彼の戯曲をすべて翻訳したのはたった三人しかいない。坪内逍遥、小田島雄志、そして松岡和子だ。
シェイクスピアといえば、有名な劇作家、詩人、古典、でも難しそう、よくわからない……。そんな風に思うかもしれない。なんとなく高尚で難解なイメージがあるシェイクスピアだが、実は彼が本拠地としたグローブ座という劇場はロンドンの外れの歓楽街にあり、そこで上演される芝居は庶民の娯楽だった。
 シェイクスピアが活躍したのは、日本でいえば戦国時代にあたる十六世紀後半から十七世紀初めにかけてで、使われている言葉は今の英語とはだいぶ違う。また詩人でもあったシェイクスピアは、セリフ中に韻やリズムによる遊びをふんだんに盛り込んでいる。その英語を日本人が読み解くのは生半可なことではないし、さらに日本語に置き換える難しさは想像を絶するものに違いない。
 では、松岡和子はなぜ、シェイクスピアの戯曲完訳という難関に挑むことになったのだろう。そこにどのような困難があり、それをどう乗り越えたのだろう。松岡和子とはどのような人物なのだろう。本書『逃げても、逃げてもシェイクスピア―翻訳家・松岡和子』(新潮社)の著者、草生亜紀子は、松岡の人生を丁寧に綴ることで、そうした疑問を紐解いていく。
 第一章「父と母」は、終戦時に満州国の要職に就いていたためソ連に抑留された父と、子供三人を連れて満州から引き揚げてきて、混乱する社会の中一人で家族を養った母の物語だ。父と母はそれぞれ過酷な状況を耐え抜いて、十一年を経て再会を果たす。この両親の姿が、松岡和子の不屈の精神の大元にあるのかもしれない。
 第二章「学生時代」では、中学から大学院までの間に松岡がどのように翻訳の仕事に惹かれ、シェイクスピアと関わったのかが語られる。ここで面白いのは、本書のタイトルにあるように、松岡がシェイクスピアから「逃げて」いる点だ。東京女子大でシェイクスピア研究会に入ろうとするも、「あまりに難しそう」で「尾っぽを巻いて退散」するのが最初の逃走。二十五歳で「シェイクスピアを学ぼうと固く決意」して東大の大学院に入るが、授業のレベルの高さに怖気づいて方向転換を図るのが第二の逃走。しかし、いずれの逃走も失敗に終わる。どの道を選んでも、結局はシェイクスピアに行きあたるからだ。
 大学院時代に結婚と出産を経験し、修士号を得て翻訳に携わり、大学で教えるようにもなった松岡だが、避けようのない人生の困難に見舞われる。第三章「仕事・家庭」では、家族の死、嫁姑の確執、介護の問題に直面した時、松岡がどう考え、行動したかが描かれる。
 そしていよいよ戯曲翻訳に係るのが、第四章「劇評・翻訳」だ。舞台好きで英語と戯曲の知識がある松岡は、戯曲の翻訳を次々に手掛け、劇評を執筆するようになる。子育てしながら義母を介護し、大学で教え、翻訳し、劇評を書くというフル稼働の日々の中、松岡はまたしてもシェイクスピアに遭遇する。シアターコクーン初代芸術監督の串田和美から、『夏の夜の夢』の新訳を依頼されるのだ。そうして訳した脚本を、彩の国さいたま芸術劇場シェイクスピア・シリーズの芸術監督、蜷川幸雄に、「読んでみてください」と自ら手渡したことが、松岡の運命を大きく変えていく。シェイクスピアの全戯曲を上演するというプロジェクトの脚本を、すべて松岡が訳すことになる。
 そして、第五章「シェイクスピアとの格闘」が始まる。すでに多数の翻訳が存在するのに自分が新訳する意味は何かと自問しつつ、松岡は、今度はシェイクスピアとがっぷり四つに組む。シェイクスピアの言葉を等価の、鮮度の高い日本語にするために積み重ねられた努力と情熱には、ただただ圧倒されるばかりだ。
 例えば、『ロミオとジュリエット』の有名なバルコニーのシーンで、従来の訳ではジュリエットがロミオにへりくだって話しているものが多い。しかし原文では、二人は対等な言葉で話している。それなら日本語でも対等に、ジュリエットは十四歳の女子の言葉で話すべきだと松岡は考え、訳文を練っていく。
 ちくま文庫シェイクスピア全集の中の、どれでもいいから手に取って開いてみて欲しい。そこに難しい言葉はおそらく見当たらない。松岡の訳がいかに読みやすく、気持ちよく頭に入って来るかは、少し読んだだけでも実感できるはずだ。全集最終巻の出版を終えても、松岡は自らの訳に手を入れ続け、版を重ねるたびに変更を加えていると、本書は伝える。松岡和子のシェイクスピアを巡る旅の第二幕は、今なお続いている。


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