私たちはいつだってずっと自由だ
昨日面白いことを聞いた。
「誰でもみんな、今この瞬間もずっと自由なんだよ」
保育園のお迎えからの帰り、駐車場に車を停めて子どもたちを車から降ろすと、長女が車の影に隠れる→次女が探す。という、かくれんぼがはじまった。
これはよくある光景で、今まで私はまた始まったよとため息ついて(その後に予定があるわけでもないのに)、最初は無理して頑張って「そろそろ帰ろうよ」「あと一回ね」と優しく声かけするけど、すぐにイライラを我慢できなくて「もう行くよ!」と強く言ってしまうことがほとんどだった。
今まで深く考えたことはなかったけど、私はいつも「子どもにイライラさせられている」と被害者だと感じていた。
だけど、実は「イライラさせられる」という事実はない。正確には、目の前で「子どもが遊んでいる」という事実に対して「イライラしよう」と自分で決めて、採用したのは私自身なのだ。
全てのことにおいても、誰かや何かにイライラさせられる、なんてことは起きていない。
今目の前にある事実に対してどんな感情をくっつけるか、例え「えっ?わざわざイライラしようなんて、自分で選ぶわけないじゃん」と思っていたとしても、実際は【無意識】で全部自分で選んでいる。それが現実なのだ。
だけど裏を返せば、いつだって全部自分で自由に決めることができる。だったら無意識で反応的に流されるのではなく、全部ちゃんと【意識】して、楽しい方を選べばいい。
わざわざイライラしよう!選択するって、客観的に考えると、物好きだし暇だし、何やってるんだろうってなる。笑
そんな事実を知ったから、昨日は「イライラする」は選択しないと決めて、2人がどうやって遊ぶのか興味を持って観察してみることにした。
次女(1)がぐるぐるお姉ちゃんを追いかける→長女(5)は見つからないように距離を保ちながらぐるぐる回るを繰り返す。しばらくすると次女はしゃがみ込み車の下をのぞいた。そして無事、お姉ちゃんの足を発見!
次女、なかなか賢い。
今日は次女の2歳のお誕生日!今日もイライラをしない私で過ごすと決めた!