普段Instagramを主な発信場所としている私。 だけど、もともと苦手意識のある「魅せ方」「デザイン」に不自由さを感じるようになり、自由を求めてnoteを始めた。 noteは書くだけに集中できる。これで思う存分、等身大の自然体な自分を表現するぞ!と気合を入れていくつか書いてみたものの、「うーん、なんか全然私らしくない気がする」と感じ始めた。 (書いた後に、なんか違う、なんか違うと、何十回も修正していくものだから、最初言いたかったことからどんどん内容が変わり、ますます変に
今日ある場所で、 今のモヤモヤをシェアして 疲れている時のリフレッシュ方法を聞いてみたら みなさんから思いもよらず、 「すごく頑張ってるよ!お疲れ様だよ」 と言われた。 そうか、私はずっとすごく疲れていたんだ。 とそこで気が付いた。 この4月に、 引っ越しと長女の進学、 そして夫の転職と副業開始で 家族も暮らしも一気に環境が変わった。 私は元々環境の変化に弱くて 毎回メンヘラを発動してきたタイプで。 でも今回、長女が学校行きなくない!からの ナーバスモード全開だったか
ここ最近立て続けに、「なぜ私は、こんなにも他人のご機嫌取りに必死なんだろう?」と思う出来事が続いた。 1つ目は、長女を見ていてのこと。 この春小学生になった長女は、お母さんとバイバイするのが悲しいと泣くので、ほぼ毎日教室まで送っている。 先日、昇降口で長女が靴を履き替えている時に、後ろにきたクラスの女の子に、ランドセルがガンガン当たってしまい、その子がすごく不機嫌な顔になった。 それに気付いた瞬間、私は長女に向かって、「ほら!〇〇ちゃんに当たってるよ?ちゃんと後ろみてね
最近、細やかな気遣いなど「サポート力」を褒められることが増えた。そう言われてみると確かに得意かもと感じる。 その背景にあるのって、いじめられた経験なのかな?と思うので、書いてみたいと思う。 中学校の入学してすぐ、学年の中心的な男子に「かわいい」と言われて、いきなり目立ったことから、女子たちから嫌がらせを受けた。 その後も中学時代は、目立ってしまったことで始まるいじめが度々起きた。 ダイレクトに「キモい」とか「うざい」って言われるのはつらかったけど、「なんで私よりブスに、
昨日は、お手伝いさせてもらったイベントの本番日だった。 ひょんなことから、今講座を受講しているヘンテコレクション主宰のブランディングデザイナーテリコさんの、ブランド1周年記念特別企画イベントの運営チームに入らせてもらうことになったのが、8月末。 そこからあれよあれよと本番を迎えた。 当日は、会場総括という大きなお役目をいただき(って言ってもそんな大したことは何もしてなくて、フロアをうろちょろしてただけ)、緊張して眠れないくらいのプレッシャーを感じるかなと思っていたけど、
私はここ数日、ちょっとぐるぐるしている。 (得意の迷走が始まる5秒前状態) ちょっと前に、直感でサクッと手放したものがあって、その時は自分1人で決断できたことにすごく晴れやかなスッキリした気分だったのに、時間が経てば経つほど 「やっぱりあの時、手放さなければよかったんじゃないか」 という、考えがおおきくなってぐるぐるしてしまう。 この「もしもあの時こうしていれば…」を考えている時って、今の現実ではない、【もしものせかい】を生きているってことなんだよね。 【もしものせ
昨日、施設に住む母方の祖母と久しぶりに会った。 家購入の資金援助のため、銀行に来てもらった。(本当にありがたや) 3歳で母の実家の近くに引っ越してきてからは、すごく頻繁に会っていた祖母。 生まれた時から自己主張の強い私は、よく家出と称して、祖母の家に1人で行った。 そんな祖母は、とにかく色々強烈な人だった。とにかくあれこれ強かった。 母は一人っ子で色々苦労したんだろうなと簡単に想像できる。 昨日も、「これからは年金は期待できないから、なおちゃんも子どもがもう少し大きく
私は4年前、フリーランスになろうとして、一度失敗した経験がある。 失敗というよりも、そのまま続ける気力を失い逃げ出した。 いや、結局自分に幻滅して諦めたのかも。 昨日長女への葛藤を書きながら、そもそも私が今の働き方を選ぶことができたのは、やっぱり長女の存在のおかげだよなと思ったから、その時に思っていたことを記録しておこうと思う。 きっかけは長女の誕生 2016年に長女を出産した後、私は漠然と「働き方」に悩んでいた。 (いや、そもそも就活を始めたハタチの時から、壮大に悩
私は子育てが苦手な自覚がめちゃくちゃある。 でも、超子煩悩な夫や、両家の両親、私の姉家族、保育園の先生方、いろんな人のサポートがあり、子供たちはめちゃくちゃ素敵な子にに育っていると思う。 まもなく6歳の年長さんの長女と、2歳になったばかりの次女。 どちらもかわいいのは言うまでもないんだけど… だけどどうしても、一般的に手がかからないタイプの長女に対してイライラする事が多く、逆に手がかかる破天荒な次女のことは大抵のことが許容できる。 自分の中で客観的に見ると理解不能なこの
「恥ずかしい」ってそのまま声に出してみた 先日、オンラインで仲良くなった友人とランチに行った。 その子はすごく美人で素敵でオシャレさんで いつか会いたいな!と思っていたから、 声を掛けてもらって即「いく!」 と返事をしたくらいすごく楽しみだった。 でもヘアセットするために鏡の前に立つと ワクワクした気持ちが一瞬で萎んだのがわかった。 前髪の分け目から、白髪がキラキラと目立って 「こんな自分で会うのが恥ずかしい」 と感じてしまったから。 きっと実際に会ったら、 友人は
先日ネイルサロンに行った時のこと。 予約が平日の13:00だったので 「今日はお仕事お休みですか?」 とお姉さんから聞かれて 家で仕事をしていると答えると 「どんなお仕事してるんですか?」 と聞かれた。 さらりと話すつもりが 気付けば、はじめましての相手に 30分以上も自分語りしてしまった。 調子に乗って話しすぎてしまった と、思ったけど 目の前のお姉さんが爆笑している。 そしてありがたいことに 「最高に面白いです!絶対YouTuberになった方がいいです!私もうフ
「また失敗したら、会社に戻ればいいよ」この言葉がいつも私の奥で、安心材料になっている。 私は過去に、一度自分でビジネスをしようと思って失敗したことがある。 自分の中では精一杯一生懸命頑張ったつもりだったけど、最後は心がポキっと折れてしまい、結局会社に戻った。 一度全力で通った道だからこそ、「失敗」した時に味わったあの感情、リアルな不安や焦りがいつも私の隣で存在をアピールする。 不安を察知するたびに「でも、私には戻れる会社がある。きっと会社に戻れるから大丈夫」と自分に言い
今週すごく久しぶりに、ある夢を見た。 今まで、何度も繰り返し見てきた夢だった。 学生時代、ずっと成績が良かった。 5段階評価で言うと、一度も2以下をとったことないし、3が付いたのも片手で数えられるくらい。平均して4.5くらい。 (いつもオール5を目指していたのに、一度も取れなかったから、ずっと自分の頑張りを認めることができなかったケド) きっと私は、悪い成績をとる自分が絶対許せなかったんだと思う。 (いつも、悪い成績をとったらどうしよう…と妄想して不安だったから、もし学
1年前受けた脳診断で、私は見事に左脳派という結果が出た。もちろん左脳派が良いも悪いもない。だけど私はいつも損得や効率で、物事を判断する自分にずっと息苦しさを感じていたし、何より自分の本音ってなんだろう?がわからなくて、そんな自分を変えたいと思っていた。 ほっといても、勝手に頭の中で自動計算してしまう思考を黙らせて、「心で感じる」を育てる日々を過ごす中で、こうなったらいいなを具体的にイメージしてみた。 〜ここからいきなり、物語が始まります〜 あるところに、楽しいことが大好き
昨日面白いことを聞いた。 「誰でもみんな、今この瞬間もずっと自由なんだよ」 保育園のお迎えからの帰り、駐車場に車を停めて子どもたちを車から降ろすと、長女が車の影に隠れる→次女が探す。という、かくれんぼがはじまった。 これはよくある光景で、今まで私はまた始まったよとため息ついて(その後に予定があるわけでもないのに)、最初は無理して頑張って「そろそろ帰ろうよ」「あと一回ね」と優しく声かけするけど、すぐにイライラを我慢できなくて「もう行くよ!」と強く言ってしまうことがほとんどだ
私は昔から、「曖昧なこと」「中途半端な状態であること」がすごく苦手で、さっさと白黒ハッキリしないと気が済まない性格だった。 この1年半、自分と集中的に向き合う中で、「思考の癖」「思い込み」など、自分の生きづらさの原因となるものをたくさん見つけてきた。 すると次に考えることは、「どうやったらこれを手放せる?」という、やり方に興味が移る。だってこのまま気付いたものをそのまま放置なんてしてられないから。 他の人も同じように考えるかもしれないけど、私は中途半端な状態が耐えられな