見出し画像

がんばる自分とサヨナラした日

朝起きて
ご飯を済ませて
子どもを送り出したら

ひたすら横になって
息をしているだけ。

何もせず
トイレ以外は
寝るか呼吸か
どちらかをしている。

以前なら
そんな生活をすることなんて
考えられなかった。

何かしていないと
動いていないと気が済まなくて
止まっていたら
責められそうで
怖くて怖くてできなかった。

でも、
今の私がしているのは
そういう生活。

お金を生み出すわけでもなく
家事を率先してするわけでもなく
子育てに気合いいれるわけでもない。

しょーもない時間をすごしている。

けど、
気づいたことはたくさんあった。

本当にたくさん。。。


今までの自分の価値観を
ど返しするくらいの
大きな気づきが。


何もしなくても、周りは優しい

働かないと
責められると思っていた。

両親からがっかりされ
旦那さんからは
「早く働けよ」と言われ
子どもからは
「なんで家に一日中いるの?」
と疑問に思われる…

そんなの辛すぎて
「中学校の先生として働いている」
事実さえあれば

誰に何も言われないと思っていた。

だから、
その「中学校の先生」っていう鎧がなければ
私はただの人で
教えることも諭すことも
何もできない
価値のない人間だとおもっていた。

だけど、
誰も私のことを責める人はいなくて
いつも通りだった。

特に旦那さんは
「今日も何もしないよ〜」
という私に
「いいんじゃな〜い?」
とかる〜く言ってくれる。

自分は別室で血を吐くようなミーティングと
商談を日々繰り返しているというのに。

こんなモノグサなことをいう私に
全肯定だった。

本当に優しい人と結婚したな、私。

子どもも私が働かないことを
あまり気に留めていない。

両親も
「まぁ、子育て大変だからね〜」
と、それ以上は言ってこない。


「絶対に働かないとダメだ」と
私の中のルールにNo.1にそれはノミネート。

小さな頃見ていた
専業主婦だった母の
経済的に父親に依存した姿が
あまりにも不幸に見えたから。

その時心にたてた誓いは
「私は絶対に働かないとダメだ」
だった。

だからこそ辛かった。

自分の経験から決めたことだったから。

心のことを学んで
「相手の幸せは自分で決められない」
ことを学ぶ。

それならば
母親の幸せがどうだったかなんて
私の判断で色々言える領域ではない。

だからもう
そこは手放そう。。。

母は幸せだったと。


苦しいこともあっただろうけど
笑っていたことだってあった。

だから、
彼女は幸せだった。

そう思うことにしよう。

「私は絶対に働かないとダメだ」
のルール。

手放してみよう。

結果、
ルールががなくなったところで
想像していた悪夢は起きない。

働かない私でもいい。

そして、むしろ、
この生活、いいなぁ〜とさえ
思えてきている。

体が楽。
気持ちが楽。

なんだ…楽だな…
あったかいな…
こんな私でも私でいられるんだな…


こんな私でもいいか…

この生活が5日間くらい過ごしてきて
これまで自分のルールで蓋をしてきた
見たくない自分が大放出する瞬間があった。

自分は価値が低い人間だと認識した
子どもの頃のエピソード。

その価値の低さを埋めようと
がんばってがんばって、
とにかくがんばってきたこと。

勉強、お手伝い、習い事、生徒会…

ボランティアに教員採用試験。
海外ボランティアへの応募や本の出版。

「楽しそうだからやりたい!」
と思えていたことは、

言い換えると、すべて
「自分の価値を上げるためのがんばり」
だったこと。

「そんなにがんばらなくていいよ」
「だって、あなたはここに生きてるし」
「自分がしんどくなるくらい自分をいじめなくても、大丈夫だよ」

って、もう1人の自分の声が
自分の中から聞こえる。

「思っていたのと違うでしょ?」
「あなたを責めていたのは、
あなただけだからさ〜」

って。

そしたら何か涙があふれてきていて
止められなかった。

止められない涙は
多分
流したのは
小学校の時やっていた
バレーボールの試合で負けた時以来。

こめかみが痛い…
瞼が腫れてきた…
目が重い…
頭も痛い…

蓋が開いたら
全然止まらない。

困ったなぁ…
何時間も涙が止まらないなんて。

次の日まで瞼が開かなかった。

そして、
何でもないことでも涙がこぼれてくる…

しばらくは
こんなよわよわで
カッコ悪い私と付き合っていく。

しばらくはっていうか、
今後ずっとなんだけど…

今までのがんばる私、バイバイ。

ヨワヨワなかっこ悪い私、
これから、よろしく。

いいなと思ったら応援しよう!