なおぼーの育て方
みなさん、今日もお疲れ様です。なおぼーです。
時々
「なおぼーさんのお母さんに会ってみたい。」
「どんな教育をされていたのか聞いてみたい。」
と言ってくださる40代以上のお姉さま方がいらっしゃいます。
今日は、その問いに答えていきたい。
僕は、両親と姉を持つ4人家族の1人である。
父は、定年を超えながらもスーパーでお肉を切る仕事をしている。昔は、スーパーでお肉を切ったりパックに詰めていたりしていたそうだが最近は工場で切られたものが送られてくるらしい。並べる役目かな?
母は、50代後半でスーパーで総菜を作っている。料理が得意で栄養に関しては口うるさく育てられた。最近は、キリスト教の聖書を読んだりしている。僕はいつも、「金だけは払うなよ」と言っているが払うほどの金もないだろう(笑)
もう少し、話すと父方の祖父と祖母はミカン農家をしていた。母方は、足に障害を持っており外へ行けないため指圧師として起業し家にお客さんに来てもらい働いていた。
姉は、商業高校を卒業後、饅頭会社で働き、今は「カフェ屋を立ち上げたい」という夢を持ちながらカフェ屋でバイトしている。
さて、本題に入ろう。僕を育てた教育方法は
「他人に育てさせる。」
「好きな事をさせる。」
この2つだ。
まず、自分の家でご飯を食べる事より他人の家でご飯を食べていた。よく、夕方4時ごろに親に電話をして「〇〇君の家で晩御飯食べて帰っていい?」と電話していた。お泊りも、めちゃくちゃしていた。恐らく、家族で外に遊びに行った回数の10倍ほど他の家族と遊びに行っている。
じゃあ、どんな家庭に遊びに行ってたのか?
①ゲームをめっちゃ持っている家
そこは、ゲームが沢山あるから子供が沢山集まっていた。しかも、家の中でも走り回り障子が破れることもよくある。おばあちゃんがいつも、お昼ご飯を作ってくれていた。勝手に冷蔵庫のアイスも食べさせて頂いていた。今では感謝しかない。高専を卒業した時も、顔を見せに行った。
②コインゲームを一緒にやっていた家
ナムコランドのコインを2万枚持っていた過去を持つ、なおぼーの師匠でもある家だ。その一家は、合計10万枚ほど持っていた。毎週の土日はナムコランドに家族で行っていた。土曜の夜は、お泊りさせて頂いていた。日曜の朝は、午前はテニスへ行き、昼からはナムコランドに行っていた。中学2年生の時にお父さんが転勤になり名古屋へ行ってしまった。何してるだろう?
③その他のママさんたち
僕は、小さいころから挨拶だけはしていた。サッカーを習っていた時に教えてもらった。そして、生まれつき肌が黒い。そのため、元気少年のように写っていた。挨拶ができて、色黒でサッカーをやってるやつは大体好かれる。なので、どこの家に行っても可愛がられていた。
日焼けをし過ぎると皮膚がんになるという話を聞き、すでに焼けているが日焼け止めを塗っていた時期がある。その時に、友達のお母さんに言われた一言が
「塗って、それ?」
正直、ちょっと傷ついたし、恥ずかしくなった。
そんな感じで育った結果がこれだ。
今日の記事は、別に自慢話でもなんでもないが大切だと思う事だけもう一度言っておく。
「他人に育てさせる。」
高専時代も、色んな先生や地域の人に育てられた。
今も、師匠や師匠の周りにいる事業者さんに育てられている。
そして、親が一番難しいこと、それが
「手放す事。」
無責任ではない。何かあれば責任は取る。でもこれが一番難しい。
それを、僕の母はできたのだ。自慢の母だ。彼女は凄い。
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今日もお疲れさま。師匠が毎日働いてる姿を見ながら、凄いなぁと思うことがある。僕は、最近はのんびり生きようと自分に問いかけながら、それでもガンガンにやりたいと思う気持ちもあるが、頑張りすぎるのは良くないよな。と変な葛藤が起きることがある。
これは、自分が発言して、その発言によって地雷になるのを恐れているから発言するのは止めようと思っているから起こる現象ではあるが、それ良いことではない。自分で頑張りたいと思うことは頑張れば良い。「やりたい」という気持ちを丁寧に優しく扱いなさい。そうすれば上手くいく。
よし、少しずつだが前へ進んでいる。楽しむぞ!!
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