ワープロを知っている世代がnoteにいるかは別としてね
「小説用のアカウントを作りました。」
今さらだけどすごい時代になったよな、と思った。
小学生のころ、父がワープロで仕事している様子がおもしろくて、横からいつも画面をのぞき込んで仕事の邪魔をしていたわたしに、父が専用のフロッピーディスクを買ってくれた。
(ワープロとかフロッピーってなんぞやという令和な質問は受け付けません笑)
(現代Amazonでなぜかベストセラーだった)
専用のフロッピーディスクをもらったのがよっぽどうれしかったみたいなので、なにかできごとがあると日記みたいな作文を書いて入れていた。
「運動会」とか、「卒業式」とか、「合唱コンクール」とか。
ひとつひとつの文章にタイトルと絵文字をつけて、一覧にして読み返してニヤニヤしたり、父に読んでもらって褒めてもらうのが楽しみだった。
おなじように一枚ずつフロッピーを買ってもらった妹はすぐに文章を打つのに飽きてしまったけど、わたしはそれからワープロをさわるのがおもしろくて、父よりもワープロの前に座っていることが多かったかもしれない。
文章を書くのが小学校から中学校くらいまでひたすら楽しかったので、あのころは小説みたいな長い話とか、好きな漫画のスピンオフみたいな話を創作して、それを友達とかに読んでもらって感想をもらっていたような気がする。
今思うとすごくクリエイティブなことをやっていたと思うし、本当に「楽しむ」を地で行くような学び方をするので子どもってすごいなあと思うのだが。
たぶんたくさん才能のある人の書いた小説とかを読むようになって、勉強や成績で競い合ったりしているうちに、上とか下とか、優れているとかいないこととかがすごく重要なことに思えて、自分のつくった創作物がたいしたことないことに気づいてしまって、あんなに楽しかったはずの文章を書くのをやめてしまったんだと思う。
絵の好きな友人がまったく同じことを言っていて、イラストを描いたら誰かが喜んでくれるのがうれしかったのに、自分なんかよりもずっと上手い人の絵を目の当たりにしてしまったときから、自分が描く意味がわからなくなってやめてしまったらしい。
そんな理由で、好きなことをやらなくなってしまった人がどのくらいいるんだろう。
「本を出せたらすごいけど、そんなの一部のひとにぎりの人だけなんだろうなあ」とか思いながら、物語のあらすじを考えてはやめてしまっていたころ、
今みたいに誰でもAmazonで本が出せたり、noteで小説を書いたり、インスタでイラストを載せたらそれが漫画になって書店に並ぶような
令和の今の時代のことを、当時のわたしはどう思うんだろう。
本当に夢みたいな世界になったと思う。
なにかをする方法なんて無料でそこらへんにいくらでもあって、ただやりたいかどうかだけなのだ。
こんなに選択肢えらび放題の世界にいつのまにかなっていたのに、いままで採用してきた制限だらけの生き方とか考え方って、なにか参考になるんだろうか。もうぜんぜん、楽しくなってなんでもしていいんだろうね。
ところでこのnoteの使い道ですが、
いままでどおり書きたいことを書くことにしました。
ビジネス用にしようか…!とか、ジャンルをまとめようかとか、だれかに向けて書くってだれにだよ、とか、色々考えすぎていたのですが。
たまたま通りすがった方が刺さってくれてもいいし、特定のテーマで書いてるマガジンを読んでくれてもいいし、どんな方がどう受け取ってくれても、それはそれでいいのかなと。
自分にとってnoteは思ったよりも、「自由で気楽な場にしたい」という思いが異常に強いようで
たぶんnote好きすぎなんですよね。
noteに替わるSNSがなさすぎて、唯一無二の場所だからこそ、ここでしか書けないようなとりとめもないこととか、好きなことを書いていたくて、ここを形式的な何かにしたり、ほかのなにかに作り変えてしまうのがイヤなのです。
なので今後はもっとエッセイ寄りの内容になるかなーと思います。ほんとうはこう、タイトルとかも反応させるようなキャッチーなのだけじゃなくて、もう少し詩的に寄りたいというか、感性でぶんなぐるようなのとか、「走馬灯プレリュード」みたいなよくわからんタイトルとか付けてみたいんですよ。(どういうことやねん)
今までどおりだけどちょっと自分の中で変化がほしくて、マシュマロを投げられるアレを設置してみました。
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