仙台育英が準優勝を決めてからほんの数時間後だったけれど、仙台のアーケード街にはすでに祝・育英準優勝のムードが立っていた。「祝準優勝 感動をありがとう」と書かれた垂れ幕が、アーケードを覆う天井近くや、飲食店の入口横なんかに下がっていた。 目線と同じくらいの高さに下がっている垂れ幕に目が止まって(ほとんどの垂れ幕はとても高くから下がっているので、人間の目線の高さくらいというのは、なかなかめずらしい気がした)じっと見ていると、垂れ幕にもともと印字されていたのは「祝優勝」の文字である
アイスがおいしい季節になりました。というか、もうアイスしかおいしくない。そもそもアイスは一年中うまい。 人と話しているときに、しょうもない嘘をつく癖があります。しょうもなさすぎてまずバレない嘘、真実だろうが嘘だろうが、相手がなんのダメージも受けないような嘘です。 たまたま通りがかったコーヒー店を指さして「ここでバイトしてたんだよね〜」みたいな、どうでもいい嘘です。 そういう、別にたいしておもしろくもなんともない話をそのまま信じてくれる相手を見ていると、なんだかほっとするよう
こんなに生活感にまみれたタイトルで記事を書く時が来るとは思っていなかった。空想のことや現実味のない考えごとについてだけ書いていたかった。それでもやっぱりどうしても、生活していかないといけない。最賃ギリギリの時給で働いたりも、しないといけない。 講義、サークル、バイト。大学生同士のぼくらにとって無難で便利な話題。相手と自分の波長にどれだけ差があっても当たり障りがない。エピソードトークをするだけだから、互いの内面に深く立ち入る必要も無い。「最賃ギリギリで接客してるんだよね〜笑」
桜が好きだ。春の思い出はだいたい桜。あと花粉症。夏にも秋にも冬にもいろいろな思い出が混在する気がするけれど、春だけは、どうしても、桜の存在が大きすぎる。 とにもかくにもわたしは、過ぎていった春を思い出した時に その春を越えてよかった と思いたくて、毎年、桜を見に行っている。 いままででいちばん綺麗だった、去年の春のことを書こうと思う。写真だってきちんとこのスマホに残っているのに、わざわざ言葉で表す必要なんてない気もするけれど、何かを言葉にしようともがくときの苦しさが、心地よ
花粉が飛んでいる。 子供の頃から重篤なスギ花粉症に悩まされている。毎年、遅くとも2月には薬を飲み始めないと生きていけない。今年は特に花粉の飛散量が多いらしくて、既に、外を歩くとくしゃみが出る。目がかゆい。ゴーグルをつけて歩きたい。できるなら鼻も口も覆うことのできるガスマスクをつけて歩きたい。ていうか眼窩から目玉とりだして丸洗いしたい。かゆいって、字面がなんかもうかゆそうでいいよね。 春です。 春は花粉で、夏は風と葉っぱの感じで、秋はカーディガンで、冬はなんかさみしい匂いだ。
朝焼けのまちが、ほかの時間の同じまち と比べて、とってもきれいに思えて、好きだ と気がつきました。今日のことです。 いつもより早くに目が覚めました。ねぼけた頭はゆめうつつ半分ずつくらい、それからこの時間は、窓の外も朝と夜半分ずつくらいなのだということを、いつもはぜんぶが朝になるまで寝ているから、知りませんでした。顔を洗って目を覚ましたあと、身支度を整えて、おうちを出ました。コインランドリーに行くためです。 ドラムの回転が止まるまでの間、まだ明るくなる前の時間に、本を読みま
お久しぶりです。ほんとうに。 最近風が冷たくて、人びとのことが心配です。わたしの周りには、心の安定しない人が多い気がするので。そのことが良いとか悪いとかはなくて、ただ、そういう性質、というお話です。隣の席のあの子が足が速かったことと、同じ。 そういう人に、わかってもらえたらうれしい とわたしが思うことを 書きます。 今年の2月に、20歳になりました。20年目にもなると、気分が落ち込んだ時の処方箋も分かってきます。お腹が痛い時に「これはお薬飲んだら治る」「これは何か胃に入
何もしなくて何でもない誰かと一緒に暮らしたい。学校に通ってはいなくて会社勤めもしていなくて、歳は同い年か少し年上。血液型はなんでもいいけど、誕生日は8月だといい。わたしが2月生まれだから、半年ごとに、一緒にケーキが食べられる。 いつも8時くらいに起きて24時くらいに寝て、引きこもりだけど週に2回、決まった曜日の決まった時間に外出していく。けれど、どこに何をしに行っているのかはわからない。よくごはんを作ってくれて、気が向くとケーキを焼いてくれたりもする。料理上手だけど、時々あ
なにもしてないんです。2022/06/08。 なにもしていない1日が久々だからか、なんだか怖くなって、noteを書くことで恐怖と罪悪感を和らげよう。と思った。 とはいえなにもしてないから書くこともないし、いつもと違って日記みたいな文章になる、気がする。 わたしが今日どれだけ何もしていないかというと、リアタイの講義をひとつと、任意参加の講座をひとつ飛んでしまった。家事もしてないしためてる課題も手をつけてない。パジャマだし寝癖も直してないし、外にはもちろん出ていない。 なん
人と直接話すよりも、その人が他の人と話したり、こちらを気にせず何かしたりしているのを眺めるのが好きです。 だから、複数人で遊ぶ時は一番外側か後ろにいたい。そこからみんなの様子を眺めているのが楽だし、楽しいです。 だけどそうやっていると、そこそこの確率で「輪に入れずにいるのだ、可哀想に……」と(たぶん)思われて、気を使われてしまう。楽に楽しく、過ごしているのだけど。 わたしは、この輪の外側が好きなんだ、本当に……と思うけれど、嫌だからという理由で輪を外れているわけではない
こんにちは。こんばんは。 寒くなってくると、このふたつの間の、ほんの少しの隙間を埋めてくれる言葉があればいいのにな、とよく思います。秋あたりから、このふたつの言葉の繋がりが滑らかさを失い始める気がするので。「既に日の傾きを感じる午後4時に、なんと挨拶をすればいいか困っています」という人に、わたしはなんと言うべきかわかりません。間違いではない答えとしては、「その時間は誰にも会わないように、部屋に閉じこもっておきましょう」とかしか浮かばないけど、これは、「間違いではない」という
口篭る。返答に窮したり、言いづらい事情があったりして、言うのをためらう。また、途中で言うのをやめる。(コトバンクより) 口篭る人 というのは、たいていの場合誰かに、あるいは何かに配慮している、ように思います。話し下手。コミュ障。一般的にあまり良く言われない性質かもしれませんが、臆病な人が言葉を選ぶのを待っている時間が、とても好きです。 言葉を選んでいる人を見ると安心します。それがわたしのためではなくても。これは言葉が特別というわけではなくて、自分が大切にしているものを、同
(死ぬとするなら)。今死にたいわけではないです。焦らなくても最後には死ぬので…… よく、死ぬということについて考えます。バスに揺られている時とか、眠りにつく前とか、テスト前日の夜中とか、レポートを書かなきゃいけないけどやりたくない時とか、理解できない講義の最中とか。生の隙間を、死を思うことで埋めている。 その時たいてい、「どう死ぬか」について考えています。理想の死に方。人生なかなか思うままにはならなくて、だからこそ死ぬ時はすべてを理想通りにしたい という願望。とても理にか
あらゆる食べ物の中で、朝ごはんが1番好きです。パン派ごはん派とよく言うけれど、パンでもご飯でも、シリアルでもジュースでも、それが朝ごはんであれば無条件に好きです。炊きたてのご飯を楽しみに眠る瞬間も、ベーコンの焼ける音も、トーストの上で溶けるバターも至福です。朝ごはんが楽しみだと早起きも苦じゃないよ。本当です。 トーストを焼く時は、誕生日に友達から貰った赤いポップアップトースターを使っています。ポップアップってあの、焼けるとチンって音と共にトーストが飛び出るやつです。これを使
夜の住宅街が苦手です。夕暮れ時のカレーライスの匂いも、それと同じ理由で苦手です。「苦手」というと言葉足らずのような、あるいは言い過ぎのような気もします。だけどいま、より適切な言葉の手持ちがありません。 不安なんだと思います。 感情が不本意に揺さぶられる感じがしてしまうのです。カーテンの隙間を抜けて夜道に漏れる明かりから、帰り道どこかの家から漂うカレーライスの匂いから、顔も知らない、だけど自分と決してそう違わない誰かの、幸福な生活を想像して、いつも勝手に傷ついています。
あーあー、あー、あー マイクテストです、初めてのnote執筆なので。 「初めての記事はなんかこう、超絶ウルトラスーパー格好良いことを書きたいな〜!」と思っていて、今までなかなか踏み出せずにいました。というか現時点でもその理想は捨てていません。しかし書き出しが「あーあー」の時点で希望は潰えていた気もする、あゝ文才。 文才。無いです。欲しいです。 中学生の頃に文才の無さゆえに諦めた「物書きになる」という夢がまた少し熱を持ってしまっています。つまりこのnoteで、かつてのぼ