最賃
こんなに生活感にまみれたタイトルで記事を書く時が来るとは思っていなかった。空想のことや現実味のない考えごとについてだけ書いていたかった。それでもやっぱりどうしても、生活していかないといけない。最賃ギリギリの時給で働いたりも、しないといけない。
講義、サークル、バイト。大学生同士のぼくらにとって無難で便利な話題。相手と自分の波長にどれだけ差があっても当たり障りがない。エピソードトークをするだけだから、互いの内面に深く立ち入る必要も無い。「最賃ギリギリで接客してるんだよね〜笑」は私の鉄板で、これを言うと相手は適当に笑ってくれて、ありがたい。
バカじゃないのかと思う。人の1時間をバカみたいな金額で買い叩きやがって、バカだろと思う。ぜんぜん「笑」じゃない。でも、時間も体力も(比較的)あって、もっと高時給の仕事を選んだり、なんなら社会運動みたいなこともできたりするはずなのに、その待遇を甘んじて受け入れている私だって、バカだと思う。
私の「最賃ギリギリで接客してるんだよね〜笑」という鉄板自虐に対するよくある返答は、「バイト先変えたら?笑」とか「えらいね」で、それで全然いい。というかぼくたちは当たり障りない会話がしたいだけなのだから、これらの返しがベストだと思う。
大学1年生の頃に仲良くしていた友達に久々に会って、近況報告みたいな、当たり障りのない会話をした。「最賃ギリギリで以下略」と言ったら、「◯◯ちゃんが最賃で労働してて嬉しい」とゲラゲラ笑われた。
その時に初めて、バカみたいな自分の労働ぜんぶが報われた、と思った。「時給低いのに真面目に働いててえらい」と言われて そうだよね、ぼくって最賃ギリギリなのに頑張ってるよね……と思ったのとは全然違って、最賃ギリギリで働いててよかった、と思った。
「◯◯でも」「××なのに」ということばの形で相手を認めたり褒めたりすることは、救いになるしなにより説得力がある。それでもやっぱり、理屈もなしに意味不明なまま丸ごと肯定されることが、ぼくたちには、ときどきは必要な気がした。
これを書き終えたあと、読み返して改めて考えた。最賃ギリギリで働いててよかったわけないし、時給は上がってほしい。