きみの春
花粉が飛んでいる。
子供の頃から重篤なスギ花粉症に悩まされている。毎年、遅くとも2月には薬を飲み始めないと生きていけない。今年は特に花粉の飛散量が多いらしくて、既に、外を歩くとくしゃみが出る。目がかゆい。ゴーグルをつけて歩きたい。できるなら鼻も口も覆うことのできるガスマスクをつけて歩きたい。ていうか眼窩から目玉とりだして丸洗いしたい。かゆいって、字面がなんかもうかゆそうでいいよね。
春です。
春は花粉で、夏は風と葉っぱの感じで、秋はカーディガンで、冬はなんかさみしい匂いだ。
始まりも終わりもばらばらで曖昧だけど、どの季節の狭間でも、「あ、変わったな」と思った時に思い出すことがある。
高校2年生、初めて当時の恋人とデートの待ち合わせをした時のこと。冬の水族館がとても楽しみで待ち合わせの駅にやたら早く到着してしまったので、改札前のベンチにかけて、カバンに入れてきた文庫本を読んでいた。田舎の駅なので、通勤通学の利用客がいない休日の駅は少し寂しげで、本を読むのにはちょうど良かった。
今この駅はわたしの書斎なのだ、と愉悦に浸っていると、なんか知らない人に声をかけられた。お父さんとおじいちゃんの間くらいの年齢の男性だった。大学生になり引っ越してからは少なくなったけれど、高校生の頃はおじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さんくらいの歳の見知らぬ人に話しかけられることがよくあった。地元のまちの、そういうところが好きだった。
男性は、若い人が人待ちに本を読んでいるのが珍しくて、つい声をかけてしまった、と言った。わたしは、知らない人と話すのは好きなのだけどあまり得意ではなくて、男性に「大学生ですか?」と聞かれて「違います」と言えずに、ええまあ…へへ…と笑いながらうなずいてしまった。いま思えば間違われたのは、何を着たらいいかわからなくて、姉の服を借りて着てきたからかもしれなかった。
それから会話はほとんどその男性のターンで、わたしは「大学生です」以外の嘘をつかずに済んだ。知らない人の話を、相づちをうちながら聞くのは好きだ。
ベンチに腰掛けることもなく、少し話してすぐにその男性は立ち去って行った。自分も本が好きだということと、おすすめの本について。「五木寛之は知ってますか?」と聞かれて、わたしが首を横に振ると、男性は「四季シリーズがいいんです」と目を細めた。
もしも機会があればぜひ読んで、と言われたその冬から、4年と少しが過ぎた。書店で見かける度に手に取ってみるけれど、読んでしまったら春が来て、何かが終わってしまうような気がして、五木寛之の四季シリーズはまだ読めていない。
当時の恋人とはとうに別れて、あの日あんなに楽しみだった水族館のことはもう何も覚えていない。待ち合わせ中に読んでいた本のタイトルも忘れてしまった。あの日の男性との会話みたいにずっと覚えているようなことは特別で、たいていのことはそんなふうに忘れていくものなのかもしれない。
それでも、人待ちのベンチでの会話が今でもわたしの心をなんとなくあたたかくしてくれるように、わたしも誰かに、ちいさな春を渡せていたらいいなと思う。