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櫻井敦司と名もなき私

バイトが休みで実家にも帰る気がないなーという時は部屋で一日中一人で過ごす事が多い。
特に今は夏の疲れが出てきているのか、時間さえあればどんな時間であろうが寝ている。電気代なんか知るか!熱中症なんかでは死にたくない!

とか思ってる死にたがり。

やっぱりダメなんだわ。

大好きな、自分の命を歌声で救ってくれた(と勝手に思っている)BUCK-TICKのヴォーカリスト櫻井敦司が亡くなってからもう数ヶ月で一年になろうとしている。
今、寝る前にオンボロウォークマンで彼の優しい、時に強い歌声を聴いている。
聴くほど、ライブで聴いていた感情を思い出される。
歌声よりもパフォーマンスがパワーアップしていて、音源では魅力が伝わらないし感じられない。

「もう、彼のパフォーマンスを遠い客席から見る事すら出来なくなったのか」

いつも全国ツアーをしていると、地方なのに必ず来てくれる有難い存在。
私はいつも彼らのステージを感じて、パワーを貰っていた。なのに。

大切な人を二人も失った

5年前に母を、去年櫻井敦司を。
この二人さえ居てくれれば私の人生は何とかしてでも生きていこうと思えた。
母が亡くなった時に空いた心の穴はまだ塞がらないまま
今度は最愛のヴォーカリストまで失ってしまって、もう心の縁しか残っていないんじゃないかと思うぐらいに虚無感が続いている。

私の心はダイレクトアナストモーシス(ドラマ観てた)でも助からない。
(天城先生が亡くなった所で久々に泣けたけど!)

大切な二人、とかだと旦那と子供、だとか両親だとか色々あるだろうが、私には父よりも兄弟よりも大事な人なんですよ。私に生きる希望を与え続けてくれたとてつもなく猫好きの心優しい歌うたいなんですよ。

新しい曲の歌声は聴けない。もう二度と新しい曲に彼の歌声は乗らない。
今までリリースされた楽曲を聴き続ける。
そうしていると、自分はなんで生きているのにあの人は死んでしまっているのだろう。
と冷静になって考えてみる。

神様、どう考えてもおかしいよ。たくさんの人に求められる人があっけなく死んでしまって、どこで生きていようが死んでいようが構わないような一般人の私が何故生きているのか。
神様は、去年、素晴らしい歌声を持つ人をいっぱい天国へ連れて行ってしまったね。
神様はとても罪深い人だ、と人間は思う。

そして不公平だ。

私はもっともっと彼らの音楽を、彼の歌声を、ステージを観る為に生きて行こうと決めたのに。それで何とか母への悲しみも意識して蓋をする事が出来たのに。

なんのために生きているのか

また、そんな事を一人の部屋で考えてしまう。
彼の歌声を聴きたいけれど、聴いたら癒やされるのに、もう生で聴けないのかと落ち込む。
私は何の為に生きているんだろうか。

私は私の為に生きて行こうとはこれっぽっちも思っていない。
それはもう何十年も脳から離れてはくれない「希死念慮」が顔を出す。

今夜もまた彼の歌声を聴いて眠る。勿論薬を飲んで。
そろそろ薬が効いて来て頭が朦朧としてきたのでこの辺で。

とりあえず今の心境を吐き出した。


何故だろう 何故悲しいのだろう
さよなら また会おう

涙よ 涸れよ 笑っておくれ
誘え 旅立とう

愛の葬列が 闇夜の果てへ
愛の葬列が あなたを連れて
愛の葬列が 闇夜の果てへ
愛の葬列が わたしを連れて
愛の葬列が…

BUCK−TICK 「愛の葬列」より抜粋 作詞:櫻井敦司

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