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こんにちは!
「しあわせなカラダを作ろうプロジェクト」主宰の
NAO ∞ invention 相原奈央です。


今日は私の話をしたいと思います。


昔から私の描く夢というのは
とんでもなく壮大か、
(一見)とてつもなくふざけているかのどちらかです。


例えば幼稚園の時は
周りの友達が将来の夢は「お嫁さん」だの「ケーキ屋さん」だの言ってる横で
「チャルメラのおじさん」になることだったし、
小学校3年生の時に書いた
自分の二十年後の未来についての作文には
世界で一番大きな船の船長さんになって世界中の人たちを船に呼び、一緒に宇宙や世界を旅したいと書いてあります。
ついでに言うと、弟子もつけて、私が死んだらその弟子に後を継がせて立派な船長にならせてみたい、、、、そうです。


それについては今もほんとにたいして変わっていなくて、
もちろん
今よりも収入が増やせたらなぁとか、
例えば〇〇に自由に行けるようになりたいとかそういった個人的なことも無い訳では無いんですが、
私が心底ワクワクしたり、
本当に妄想が止まらないというか、
あーこんなことをしたいなぁとかこんなことができたらいいなぁって思う事には
いつも「世界」と言う言葉がついていたり、「みんな」って言う言葉がついていたりします。

そして、私の生活とか人生の物差し、判断の基準はいつも
「それは楽しいのか」ということです。


世界を変えることと言うのは例えばある人は環境問題に取り組んで海をきれいにすることだったり、
人権問題に取り組んで差別をなくすことだったり、
宗教問題に取り組んで戦争をなくすことだったり、
宗教を通して人々の心に平安をもたらすことだったりだと思います。



昔、カフナプリンシプルの先生がおっしゃっていたことで
すごくよく覚えている言葉があります。

「戦争を無くしたいからといって、私は何も出来ない。
私ができる事は自分のことだけです」

これは一見絶望に満ちた言葉ではあると思うんですが、
その逆の希望に満ちた言葉でもあると私は思います。


世界は変えられなくても、
自分の世界のことは
自分で自分にしてあげることが出来るからです。


宗教や環境問題や人権問題への取り組みと言うのは
もちろん未来により良いこと(日々を安心して暮らせること、心を痛めるシーンが減るといったような)を目指して活動しているものではありますが、
一般的な所ではそれが「正しさ」のための活動になっていることが多いと感じます。

それの多くは
「未来が楽しくなるための活動」という根っこを失って、
自分の信じていることや主張、こうすべきだとか、
こうしないと困る人がいるとかの押し付け合いだったり、
一見美しいことを言っているようで
その当人の心の中で起こっていることというのは戦争に他ならなくて、
それが行き過ぎると平和のための活動だったものが
そのルールを守らない人への攻撃だったり、排除という戦争に変わっていきます。


もちろん、そうではない方たちがたくさんいて活動されていることはもちろん承知していますが
平和と戦争はいつも背中合わせ。

例えば、馬鹿馬鹿しいと感じるかもしれないけれど
「自分はバナナが好きである」ということですらも
戦争になり得ると思います。

戦争の種はいつも私たちの日常に無数に存在しています。


それがどんなに正しいことで、どんなに崇高なことであったとしても、
理屈や私たちの感情には戦争を生む可能性がいつもあります。

それは外の世界においても、
自分自身の内の世界においても同じことです。



私がいつも思うのは、
もし私が世界を変えられるんだとしたら、
それの手段や、それの基盤や根っこは「楽しいや嬉しいこと」でありたいなと思っています。

楽しいことや嬉しいことにはそれまでに至る道のりで苦労が伴うこともありますが、
それだけで完結しうるものです。


「はるばる遠くから訪ねて食べたここのケーキ、
想像したほどあんまりおいしくなかったけど
店長さんが楽しかったからよかったよね~~^_^」のような。

私たちは暮らしの中で、
「まぁ楽しかったからよかった〜」
とよく言ったりします。


心底の楽しいにはおそらく裏がなくて、
ひっくり返しても、
切ってみても、
多分金太郎飴みたいにどこまでも「楽しいや嬉しい」だと思うんです。

どこにも所属しない
純粋な思いや感情。

だから、
私の死ぬまでやりたいと思っている目標は今までと同じように、
楽しいことを考えたり、楽しいことをやったり、嬉しいことをやることです。


話が少し戻りますが、
世界を変えることは自分の世界を変えることの延長線上にあるものだと私は思います。


昔、結婚生活を送っていた頃、
私は普段テレビを見ないし
おうちの中では静かな環境が好きなので、
家にいる時にはほぼ四六時中テレビをつけている旦那さんがムカついて、イライラしてしょうがない時がありました。

テレビを消してほしいとお願いしても全然分かってもらえないし、
またそのことは私を益々イライラ立たせました。

「なんで分かってくれないの?!
うるさい!!」って


それが、
彼をどうにかしようとするんではなくて
(だってどうにかしようと何度もお願いしたけど全く効果無かったんやもん)、
自分が楽しいことに集中したり、
自分なりの気にならなくなる工夫をする、
例えば静かに過ごしたいなら自分の部屋にいるようにするとか、
ストレスを溜めないように外に出かける機会を増やすとか、
一日のうちで少しだけでも彼とテレビを一緒に楽しむ時間を持つとか、
つまり、自分のお世話。

他人に依存しない、
自分だけで完結できる自分が楽しく暮らすための工夫をすること

いつのまにかそのこと自体も全く気にならなくなったんです。

静かなのが好きなのは当時も今も全く何にも変わらないけど
こんな180度逆の世界を作ることが出来たんです。

他の誰のためでもなく、
自分のために!


だから、
世界を変えることは出来ないけど、
世界を変えることは出来るんだと思います。


だから、
「正しさ」で世界を変えることは出来ないけど、
「楽しさ」で世界を変えることは出来るんだと思います。


HP : NAO ∞ invention
Instagram : nao8invention
youtube : しあわせなカラダを作ろうチャンネル(仮)

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