「頑張らない」を正しくしてみる
ヨガ教室に94歳のおじいちゃんが通ってます。違うクラスなのでお会いしたことはないのですが、先生からその方が元気に通っているんだよ、というお話を耳にすると、なんとなく気持ちがほっこりします。
ただ、今日のレッスンで耳にしたのは、そのおじいちゃんが少し調子がイマイチらしいということ。夏の暑さがたたったようで入院されてるそうなのです。これで22年間続いた皆勤賞もいったんストップ。はじめてのお休みですって。大丈夫かしら。
わたしがどうして、このおじいちゃんに興味を持ったかというと一つは先生がたまに近況を教えてくださるから。もうひとつがその方の生き様がかっこいいから。
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お一人住まいだそうですが食事も洗濯もご自分でされてるし、毎日のお散歩が日課だそう。先生がよく感心しながら話されているのは「Kさんってね、ムリをしないんですよ」ということ。
例えばお散歩も毎日絶対にやる!というわけではなくて雨の日はお休み。
ヨガのポーズも例え歴数が長くても無理をしない。最近は出来るポーズだけされて、レッスンの半分は横になって休んでることも多いそうです。
平塚から神田の教室まで電車で毎週通われていらっしゃるのですが、それも頑張って続けて通っているというよりは「行けるから行く」「行きたいから行く」それだけなのかもしれません。
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わたしなんかは飽きっぽいから、「続けられない」ということに変な罪悪感を抱くこともあります。
けど、このおじいちゃんのお話を聞いたときに「頑張る」ってことの意味を改めて考えさせられたのです。
わりと努力や頑張りが美德とされるのが日本の風習であるように感じてますが、おじいちゃんは「正しく頑張らない」ができてる人だわ。
若い頃なら無理も効くし、新しい世界へ飛び込む勇気や向上心も大いに発揮してもいいかもしれません。
けれど、人間って歳をとる生き物なんですよね。
アンチエイジングがもてはやされた時代もあったけど(今もなのかな?)、どんなに頑張っても若さを取り戻せないし、痛くなった関節を元どおりにもできない。つまりは「過去に戻ることはできないんだよ」ということ。
歳を取るほどに私たちは経験や知識が増えていく。長生きするほどに新しい考え方や価値観が入るスペースがなくなっていくから、ヨガをすることで体の柔軟性を保つこと以上に、頭(脳)の柔軟性を保つことに役立ててほしい。ヨガの先生もよくお話しくださいます。
先生も生徒さんもわたしより1回り〜なんなら2回りほど上の方もいらっしゃる。だから、歳をとると体に出るよ、いいことないよ、ってすごく聞かされますが(笑)
逆にいうなら、生きてる人なら誰にでも訪れる「死」についてをきちんと見据えていらっしゃる。「より良い死はよりよく生きる」ことにつながりますから。
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わたしもこの先の人生、ほどよく希望を持ちつつも「身の程知らず」にならぬよう「わきまえた」生き方をしていきたいです。
具体的にいうなら、
「余計な頑張りはしない」とか。
「若い人に張り合わない」とかね(笑)。
頑張ればなんとかなるってこともあるけれど。なんとかならないこともある。むしろ、ならないことも多い。
それを嘆くでもなく、悲しむでもなく。淡々と。
尊敬できる諸先輩方の背中を見せていただきながら自分を面白がり、できることをしつつ。愉快なばあちゃんになりたいです。