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何にもできない人なんてそんなにいないよなと思った話。

母は学校給食を提供する調理師として働いていたので料理がとても上手。盛り付けも彼女なりに工夫してるし、野菜の切り方も均一な仕上がりを求めて厚みや大きさにも余念がない。

子供の頃から出される料理はかなり美味しい物だったと思う。「思う」とあえて書いたのは出される料理があまりに当たり前に美味しく素晴らしい出来栄えだったため超絶美味しい料理というジャンルがわからないまま育ったと自認しているから。今思うと母の作ってくれた料理で、子供ながらに口には合わなくても「マズイ」と感じたことは一度もなかった。

家で出される料理の中で「マズイ」ということもあるんだね、を知ったのは小学生の時の親友の言葉を聞いた時。「うちのお母さんのハンバーグ、マズイんだよね。いつも焦げてるもん。」へーー、そういうこともあるんだ!結構カルチャーショックでした(笑)

ところで「マズイ」と「好き嫌い」って意味合いは全然違う。パンがなにより大好きな子供だった私は、母が作ってくれるトンカツ、エビフライ、煮物、みたいな家庭のご馳走的なものにさほど心惹かれなかった。別にマズくはないし食べられるし美味しいのだけれど(上から目線かw)、単純にスパゲッティのマヨ和えとかホットケーキ、サンドイッチみたいなものが好みだったため、母の料理が特段すんごい!!と思えなかったのだ。少食だったこともあり何かというと「量を少なめにして」と頼んでいたのを覚えている。

お正月はわたしの方の実家で家族揃って過ごすのが我が家の通年パターン。今年も母はたくさんのご馳走を用意してくれた。1日のうちを台所仕事に費やすことが多い母は、小一時間もしないうちに私たちの胃袋に入って行く料理たちを見て「作るのは時間がかかるけど、食べるのはあっという間よね」なんて笑いながらも満足そう。丁寧に何時間もかけて作ってくれている母にはリスペクトしかない。

食後、リビングでまったりしていた午後のこと。小6の息子と母が、何でそんな話になったのかはわからないけど「特技」についての話をしていた。

母「特技は持っておくといいよ、おばあちゃんは何にもできないからねぇ」

息子「え?料理ができるじゃん。あと火傷の達人(笑)」

母「おばあちゃんは料理が特技って思ってくれてるの?美味しいって思ってくれてるんだ?ゆうちゃんは優しいねぇ」

脇で2人の会話を聞いていて、ちょっと涙が出そうだった。

というのも私は子供の頃から母が自身のことを、字が汚いから、勉強ができないから、のっぺりした顔だから(そこ?)など、ことごとく自分を卑下(ある意味謙遜)していたのを聞いてきたから。母が放った「自分は何もできないのよ」の言葉もナチュラルに「あー、いつものね」と危うく受け止めてしまいそうだった。

そこに息子の「料理があるじゃん」の絶妙の返しが入った時に「そのとおり!!!」って心の中で大きく頷いたのだ。

思えば私も母のちょっとした「自分ってこんなにできない人なのよ」みたいな言葉を相当鵜呑みにして生きてきたようだ。そして、人前で私が褒められようなら母は必死に異議を唱えるところもあったなぁ(悪気はないと思う)と思い出した。謙遜って美徳なようで実は相当自分へのセルフイメージを下げている。そして、それを傍で聞いてる私が自分に抱くイメージも低くしていたことに思いあたった。何せセラピーの自己ワークをすると「何の取り柄もない私」という思い込みがざっくり刻まれてることに気付かされるので(笑)

そんな強固な「私は何もできない人です」イメージを軽々と打ち破ったのが息子の言葉だ。彼が発する何気ない言葉は真っ直ぐに人の心によく響く。息子の純粋さや正直さが羨ましくもあり、誇らしくもあった。そして、母がホントに嬉しそうにしてるのが嬉しかった。

母も母なりに子供だった私たち(姉弟)に愛情を込めて料理を作ってくれていたのだと思う。もちろん自分が食べるのも好きだからどうせなら美味しく食べたいでしょ?という心意気があることも知っている。その素晴らしい愛を見事にカタチにする手段が母にとっては料理だったのかもしれない。その作品を「あんまし好きじゃないんだよねー」と軽くいなしていた私は、かなり母の自己肯定感を(さらに?)下げていたのかもしれないと思い、今更ながらにハッとしている。そして申し訳なくも思っている。

私が母になり離乳食を作ることになった際、息子にはかなり拒否られた苦い思い出があった。愛情もって何かや誰かのために費やした時間や労力を、たやすく手で払われるって精神的にも結構クる(笑)。食べ物を食べるって愛を受け取ることでもあるんだよ、と聞いたことあったけど確かに一理ある。それを当然のように受け取り食べ続けてきた私って何様やねんっ!それを簡単に拒否る息子も何やねんっ!(当時の息子は乳児さんですw)。

人は、自分の体験を通して他者の心を知る生き物だ。痛みも喜びも…あらゆる感情の全てを。

今ではわたしの作った大抵のものは美味しいといって食べてくれる息子。その姿をみて嬉しいし、私も母の料理を美味しくありがたくいただいている。「わたしには大した特技がないです」的な思い込みがどれだけ現実味のないものかを、母も私も、ぼんやり抱えてるかもしれない方々も…そろそろいいんじゃないかな手放してみても。目の前に喜んでくれてる人は絶対にいるから。それは料理に限らず、あらゆるシーンで繰り広げられてるから。自分が思ってる以上に「存在」自体が誰かや何かのよりどころになってることを自分で見つけていける人ほど自己肯定感も自分を信じるチカラもぐんぐん育んでいけるから。

誰と比べることもなく、事実は事実としてちゃんと受け取っていい。その橋渡しをしてくれた息子よ、今後もナイスプレーを繰り出してくれ。



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nao
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