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感じてる、の置き去りは罪深い
頭に浮かんできた何てことのないあれこれをつらつら書いてたらこんなのが出来たよ、と吉田兼好さん。
わたしは徒然草を全文きちんと読んだことはないのだけれど、このゆるい書き出しがすごく好き。日常のふとしたシーンにふわりと舞い降りてくるフレーズでもあります。
1日に6万回以上していると言われる思考は、次から次へと現れては連想ゲームのようにイメージにイメージを重ねていきますよね。その連想があまりに陳腐で笑っちゃうときもあれば、どうしようもなく前後関係のつながりがなさ過ぎて「わたしはバカなんじゃないだろうか?」と真剣に思うこともあります。
兼好さんも「あやしうこそものぐるほしけれ」つまり「怪しい気なものを書いちゃったなぁ」と呟いていらっしゃる。
そんな怪しげなものが日本を代表する随筆になっているのだもの。怪しくはないはず。むしろ「そこはかとなさ」があまりに日常にフィットし過ぎて大衆の大いなる賛同なり共感を生んだのかもしれませんね。
わたしが、兼好さんをいいなと思うのは日常の些細な部分を当たり前のものとしてスルーさせてない(ようにみえる)ところ。
わたしも皆さんのnoteなどで、ごく一般の個人の方々が(あ、なんかすいません)それぞれの思いをいろんな角度から光を当ててる点やオリジナルな表現をされてる部分にとても共感を持って読ませていただいてます。
ピックアップするテーマは大いなるもの、というよりはいわゆる個々の「よしなしごと」なのだろうけど、人によっては見向きもしない部分にも丁寧に真摯に向き合われてる姿だからこそ心を打つものがあります。
最近「自分の感情に責任を持つ」という言葉を耳にしました。もう少し柔らかく言い換えるなら「自分が感じてることに、ちゃんと気づいていこうね」みたいな感じです。
人は自分の感じてるモノを見ないフリしたり蓋をしたりしてると、その思いを他者に映し出してしまうことがあります。
つまり、イヤな気分を感じてるのは「自分」なのに、あたかも「相手」が自分をイヤな気分にさせている、と感じてしまうのですよ。
これって、やられた方も迷惑ですし、やってる方も無意識なので(でも本人だって気分は悪い)自分で気づかない限り止めようがありません。
そういう意味でも、日々の「よしなしごと」で何を感じてるのかに思いを馳せたり言語化して思いを明確にしていけるほど、人との関係性はもちろん、自分とも仲良くなっていけるんですよね。
noteをされてるみなさんも、兼好さんも。きっと自分という存在とまぁまぁ仲良しな関係を築かれているかもしれない。いや、もしくは仲良くなる道中を楽しみつつ時にモヤりつつ(笑)。それでも諦めずに自分への理解を愛ある好奇心とともに深めていらっしゃる最中なのかもしれない…。
と、勝手に想像したりもしてます。
言葉にならない思いほど少しでも近い言葉を探しながら言語化していきたい。兼好さんのゆるさも計算されつくした洗練さかもしれないけど。「よしなしごと」ほど「日々のらしさ」がでてると思うので。言葉に寄り添いながら思いを紡いでいきたい。
そんな独り言で今日はおわりにします。
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