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これは観て正解か? 映画『ナミビアの砂漠』2024/9/6公開
鑑賞直後に思うこと
観なければよかった・・・。
正直に言うと、鑑賞直後の今の私が思うことはこれだ。
ただただ、そう思っている。
ところが、同時に心のどこかで、「この映画は心地がよかった」とも思っている。
不思議な感情を生ませてくれた映画であった。
河合優実について
まず、河合優実はここ最近でキテいる女優だ。
業界人はもちろんのこと、作品を観る消費者も、
たくさんの人が彼女に注目し、彼女に魅了されているわけだが、
その理由が、今回演じたこの映画の主人公〈ミヤマ カナ〉
の演技に詰まっているようだった。
21歳らしく、明るくて茶目っ気があり、人付き合いはそれなりできる。
それなのに無関心で、愛着がないというか、どこか全体的に「諦め」がある。
しっかりとしているようで、地に足がつかない危なっかしさがある。
主人公のそんな性質を、言葉以外の表情や行動・仕草、生活感で見事に体現する。
河合優実自身が、そういう性格なのではないかと思わされるほどだった。
"等身大"を見事に演じ切った河合優実に拍手を送りたい!
映画の中身について
公式が出しているあらすじは以下の通り
世の中も、人生も全部つまらない。やり場のない感情を抱いたまま毎日を生きている、21歳のカナ。
優しいけど退屈なホンダから自信家で刺激的なハヤシに乗り換えて、新しい生活を始めてみたが、次第にカナは自分自身に追い詰められていく。もがき、ぶつかり、彼女は自分の居場所を見つけることができるのだろうか・・・?
物語は、このあらすじ通りに進んでいく。
最初の方は、20代前半にありがちな生活を、ただ映していくもの。
少し離れたところから捉えたり、後ろ姿を捉えたりと、
カメラワークが、どこか彼女の生活を覗き見しているような気持ちにさせてくる。
ただ、普通の生活なのだ。
カナの同世代は、もしかしたらごく身近なこととして頷ける場面があるかもしれない。
そして、その時代を過ごしたことのあるカナより歳上の人たちは、なんとなく、
自身の思い出と重ねて懐かしく思う場面がいくつかあろう。
そんな淡々とした彼女の日常の中でも、確実に彼女の生活は歪み始める。
引き金がどこにあったか分からない。気がつかないくらいの小さな粒が、
やがて大きな石になって彼女にのしかかるのだ。
ところがそれすらも、観ている人の中に、どこか自身の持つ思い出や感情と
当てはまる節があるのだ。
それがどうにも不思議で、もどかしい。
頭の奥底に意図的に眠らせている記憶を、カナの一挙手一投足によって
無理やり引き出されていくような感覚だ。
彼女ほど大胆におかしくなってはいないし、彼女のような台詞は吐かないし、
彼女みたいに醜さを素直に露わにしたこともない。
だが、何故か節々で、分かるかも…と思っている。
映画を観ながらこんな感覚に陥ることはそうない。
敢えて挙げるとすれば、今泉力哉監督・2019年公開の映画『愛がなんだ』の鑑賞によって起こされる感情に近いかもしれない。
『愛がなんだ』は当時話題になり、私の周りでも意見がはっきりと分かれた。
主人公に共感できる人と、そうでない人。
共感できない人は、主人公のことを、だらしない、情けない、しょうもないとか言っていたと思う。
私はそのしょうがなく情けないところに共鳴したので、正反対の感想を聞いた時には驚いた。
今回の『ナミビアの砂漠』も遠からずな感想を抱いたので、
もしかすると苦手な人は苦手で、視聴者の意見がはっきりと分かれる映画であるかもしれない。
それでも私は思う。
この映画『ナミビアの砂漠』は、私たちの日常の一部を切り取ったものだと。
ところが、この映画を観て抱く感情は、共感・共鳴だけではない。
もう一つ私が思ったのは〈憧れ〉である。
はて。おかしなことになった。
ついさっきまで、散々懐かしく思うとか、共感できるとか、
私たちの日常を切り取ったものだとか言っていたではないか!
私自身もその矛盾には笑えてくるが、ただ確かに、憧れの感情が
微かながらに胸を掠めるのであった。
その理由を、じっくりと考察してみた。
それは、【共感はできるけど、彼女のようにはなれない】からである。
人は誰しもが違う人間だから〜、一人として同じ人間はいないから〜とか、
そういうことではなくて。
私は当時、いや、もしかしたら今も、彼女のように自分の感情や状態に
一所懸命で真っ直ぐになってみたいと思っているのだろう。
彼女のように、側から見たら狂っていても、オカシイ人間になっていても、
彼女がそれで満足して生きているように、私も私の思うままにしてみたいと、
そんな憧れを抱いたのだ。それができないから、憧れるのだ。
この映画は、私たちの日常の一部を切り取ったものでありながら、
私たちが夢見た姿が映されているものでもあるのだと思う。
そんな二面性がある映画であった。
最後に
冒頭、鑑賞直後の感想として「観なければよかった」という言葉を選んだが、
ここまで読んでくださった方は、それが「悪い映画だった」という意味で書いたのではないと分かっていただけるだろう。
少々釣りっぽい書き始めになってしまったが、この言葉は、「存分に共感させてくれて心地が良いのに、彼女のようになれない現実を突きつけられて、憧れや後悔の感情で鑑賞を終えることになる」という意味を孕んでいるのだ。
兎にも角にも、この映画は現実と幻想が混在する、感情が迷子になる名作である。
1997年生まれ、丑年。
幼少期から、様々な本や映像作品に浸りながら生活する。
愛読歴は小学生の時に図書館で出会った『シートン動物記』から始まる。
映画・ドラマ愛は、いつ始まったかも定かでないほど、Babyの時から親しむ。
昔から、バラエティ番組からCMに至るまで、
"画面の中で動くもの"全般に異様な興味があった。
MBTIはENFP-T。不思議なまでに、何度やっても結果は同じである。
コミュニケーションが好きで、明朗快活な性格であるが、
文章を書こうとすると何故か、Tの部分が如何なく滲み出た、暗い調子になる。(明るい文章もお任せあれ!)
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