落語家探偵 事件ノオト 第七話 奇妙な死体
寝床のローバーミニから外に出て、両手を拡げて伸びをした。良い天気だ。今日みたいな日は何か面白えことがあるに違えねえ。白Tシャツ、インディゴブルーのジーンズに雪駄履き、お気に入りのスカーフを首に巻き、羽根挿しの麦藁帽を小粋に頭に乗っける。ピーチクパーチクとさえずるヒバリの鳴き声を聞きながら、気持ちのいい風が吹く川沿いの土手をぶらぶらと歩いてみることにした。
俺は江戸川亭鉢五郎(はちごろう)。落語家、江戸川亭乱走(らんそう)師匠の五番弟子だ。見習いの俺は、四番弟子で探偵の四太郎(よたろう)兄さんの助手をしている。この四太郎ってのは師匠の倅だが、毎日ぶらぶらしているだけ、頭に霧がかかったような野郎だ。何をやってもうまくいかねえのを見かねた師匠が、ダメもとで入門させた、ってわけだ。俺より年下だが、入門したのが三日早かったせいで「兄さん」なんて呼ばなきゃなんねえ。
そしてもうひとつ、日本全国の酒蔵を巡り、師匠の晩酌用の酒を入手して、そのレポートをnoteにアップするのが俺に課されたミッションだ。つまり俺は、落語家見習いと探偵助手とWEBライターをやっているノマドワーカー、ってわけだ。
爽快な青空、まさに『広重ブルー』の空を眺めながら歩いていた俺は、朝から何も食ってねえことに気付いた。無性に
「蕎麦が食いてえ」
と思ったんで、以前、師匠に連れて行ってもらったことがある、知る人ぞ知る老舗の名店へ向かった。暖簾をちょいと上げて中の様子をうかがってみる。空いてるな。
「上がらせてもらうぜ」
奥の座敷で板わさをアテに酒を舐めていると、いい頃合いで蕎麦が出てきた。ズズズッとやって、蕎麦湯で締めて、お勘定。
「二千四百円になります」
最近じゃあ何処でも、スマホでラクラク簡単決済。便利な世の中になったもんだ。
「釣りは要らねえよ」
良い心持ちで歩いていると、なにやら黒山の人だかり。
「ちょいとごめんよ」
かき分けて前に出てみると、男がうつ伏せで倒れていた。隣に居た野次馬に聞いてみる。
「何があった?」
「行き倒れらしい」
「生きてんのか?」
「行き倒れだから死んでるよ」
「なんでえ、生きたまま倒れてるんじゃねえのか」
そこへ、赤色灯を点滅させ、大きなサイレン音を鳴らしながら一台の白バイが颯爽と現れた。ヘルメットを外すと、リーゼントヘアにマトンチョップ頬髭、ティアドロップサングラス、エルヴィス・プレスリー風の高襟フリンジ付き白ジャケット、裾開きの白パンツ、白ブーツの出で立ちをした大男。
「あっ、熊さん」
行き倒れがいるとの通報で、現場に駆け付けた両国警察署の熊倉刑事だ。さっそく現場の状況を調べようとした俺たちは目を疑った。浴衣風トレンチコートに漆黒の革靴、傍には、手ぬぐい鹿撃ち帽、扇子が落ちている。
「四太郎じゃねえか!」
こりゃあ、大変なことになっちまった。
「私は本部に連絡して応援を頼んでおくから、はっつぁん(鉢五郎さん)は至急、事務所に戻って確かめて来てくれ」
「へえ、合点だ」
江戸川亭探偵事務所の戸をバーンと開けた俺は、開口一番、
「てえへんだ、てえへんだ。兄さんが死んでますぜ」
「おいらが死んでるって? それはびっくリングだ」
「そうなんすよ。こう、うつ伏せに倒れてましてね、傍には手ぬぐい鹿撃ち帽と扇子が落ちてやがった。ありゃあ、兄さんに違えねえ」
俺の話を聞いて、ふと考え込んだ様子の四太郎。
「そう言われてみればそんな気もする。っていうのは、昨日の晩は師匠の家で飲んでから、行きつけの店でまた飲んで、明け方近くに店を出て良い気分で歩いてたところまでは覚えてるんだけどさ、おいら、どこをどうやって帰って来たか全然覚えてないんだ」
「兄さんは途中で行き倒れたんですよ。ささっ、はやく一緒に亡骸を引き取りに行きやしょう」
俺たちは現場へ駆けつけた。「今か今か」と待っていた熊倉刑事が四太郎を見て駆け寄って来た。
「ヨタさん(四太郎さん)、この度はご愁傷様です。何と言ったらいいか、言葉もありません」
「ご丁寧にありがと。ちょいと、行き倒れたおいらを見せてくれる?」
「こちらです」
うつ伏せの男をまじまじと見た四太郎は、
「あららら、たしかに、これはおいらだ。こんなことになっちゃって、まあ」
「とりあえず、いったん署までご同行願います。詳しい話をお聞きしたいので」
沈痛な面持ちの熊倉刑事が俺たちをパトカーに乗せて、新米警察官の運転手に言った。
「署まで頼む」
走り出した車内で俺は、答えの無い問い掛けを何度も何度も繰り返していた。
「どうしてこんなことに」
警察署の遺体安置室で、横たわる亡骸を目の前にして、事情聴取を待つ四太郎と俺。
「兄さん、昨日のこと、本当に何も覚えてねえんですか?」
「ほんとはさ、おいら、覚えてることあるよ」
「どんなことです?」
「店を出て歩いてたら、前から二人組の男達が来たんだ」
「それで?」
「ちょいと妙な感じがしたんだけど、気にしないようにしてそのまますれ違って、通りの角を曲がったところでガツンと頭に衝撃が。そこから先は、おいら、何も覚えてないんだ」
「その男二人組にやられたんですよ。くそっ、絶対、そうに違えねえ」
俺は肩を震わせ、拳をぎゅっと握って歯噛みするしかなかった。
そこへ熊倉刑事が現れて、昨日、俺たちがどこにいて何をしていたのか、話を聞きたいと言う。俺はアップしたnoteの記事を見せながら一部始終を話しはじめた。
昨日は、師匠から言いつけられた酒蔵ミッションで、四太郎と俺は静岡県を訪れていた。愛車ローバーミニの助手席に四太郎を乗せて、駿河湾越しに富士山を望みながら走る。歌川広重の東海道五十三次にもその景色が描かれている由比の港町は、江戸時代には宿場町として栄え、現在もその面影を残している。
株式会社神沢川酒造場(静岡県静岡市清水区由比181)で蔵人、四太郎、鉢五郎の3ショットを撮り、銘酒『正雪』を入手。そこから目と鼻の先にある株式会社由比缶詰所で、酒の肴に『特撰まぐろ綿実油漬』と、限定販売の『桜えび甘辛煮』を買って帰る。その後、師匠の家で酒を飲んだ…。
俺が話し終えると、今度は隣に座っている四太郎が口を開いた。
「ひとつ気掛かりなことがあるんだ」
「気掛かりなこと?」
四太郎の顔を覗き込む熊倉刑事。少し間を置いて、四太郎が意味深に言う。
「目の前の死んでる男がおいらだとしたら、このおいらはいったい誰だ?」
なるほど、言われてみりゃあ、もっともだ。俺の隣に座っているこいつは、いったい誰なんだ?
「あっちの死んでる兄さんと、こっちの生きてる兄さん、どっちが本物の兄さんなんだ? よーし、こうなりゃ、実の父親である師匠に見てもらうより他に手はねえ」
そういうわけで、生きてる四太郎、鉢五郎、熊倉刑事の三人で、死んでる四太郎を担いで師匠の家を訪ねてみると、なにやら、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。師匠は誰かと飲んでるらしい。その誰かってのを見て、俺たちはびっくリング。
「四太郎じゃねえか!」
すると、師匠と飲んでる四太郎が、死んでる四太郎を担いでいる生きてる四太郎に向かって言った。
「お前は誰だ?」
古典落語『粗忽長屋』より (了)