最適化された社会は幸福を生み出すのか?~わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために~
「わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために」という本をだいぶ前に読んだため、書評とは言えないが、メモ程度を残しておく。
この本は「ウェルビーイング」という、ある意味「幸福」とも捉えられる概念を定義し、その向上のために何ができるのかを論じたものだ。
その際、ロボット技術やSNS、経済や法や芸能など、幅広い分野の方がそれぞれの立場からウェルビーイングについての考えを述べる、オムニバス形式をとっている。そのため、理系文系に偏ることなく、様々な意見を得ることができる本であった。
メモ書きのつもりであるから、非常に簡素なnoteであることを始めに言っておきたい。ただ、自分が感じたことだけをまとめたいだけなので、肝心な「ウェルビーイング」の定義や具体的な実践の内容については触れない。
ここでは、「ウェルビーイング」を考える必要性と、それについてや全体を通して自分が抱いた感想のみを書くことにした。
なぜ「ウェルビーイング」?
まず本書で述べられているのは、このような「ウェルビーイング」という概念をなぜ考えなければならないのかについてだ。
その要素の一つとして「情報技術」が挙げられている。現代の目覚ましい技術の発展の大部分を占めているのはまさにそれだといっていいが、「(情報技術は)本当に私たちを『幸せ』にしているといえるか?」と著者は私たちに問う。
確かに、スマートフォンやWi-Fiなどの通信技術によって、どこにいても誰かと連絡を取ったり、SNSやショッピングサイトで見られる最適化技術によって、自分の好きなものを勝手に選んでくれたりと、私たちの生活は「豊か」になった。
しかし、いつでも離れた誰かと連絡が取れることは、常に私たちにある種の緊張状態を強いるし、自分の好きなものが勝手に選ばれることは視野狭窄につながり得る。これは本当に「幸せ」の形なのだろうか。
このように、物質的に豊かであることと、感情的に幸せであることは直接等
合で結ばれないのではないか。これは「幸せ」とは何かを明確にできていなかったために起きたと考えられるため、今こそ「ウェルビーイング」について考察し、私たちに何ができるのかを考えよう、といった流れだ。
自分の感想
「ウェルビーイング」の必要性について
先ほどの部分を読んで、「たしかに、その通りだ」と感じた。特に、先ほど出てきた「最適化理論」に興味がある自分にとっては痛烈な視点だ。
最適化理論を勉強し、より良い結果を目指すにはどうすればいいのかを研究することはとても意義があることである。しかし、それを現代社会の中に適用する際、効率重視ではなくて、「ウェルビーイング」についても考慮する必要があるなと考えを改めることができた。
本書全体を通して
先ほども書いた通り、本書は様々な分野の方の意見をまとめたものだ。これによって今まで知らなかった分野についての知識を得ることができた。
特に面白かったのは「日本芸能」の分野で能についての話だった。今までは能について知る機会なんて全くなく、知識ゼロだったが、「不在」や「制限と自由」といった面白さを知ることができた。またそれらと「ウェルビーイング」との関係を論じており、個人的にとても面白く読めた。
思いがけないところに新しい知識への入り口があることを知れた一冊となった。
おわりに
本書は、いままでの自分の趣向から言ってとても読まなさそうな本であった。本書を読んだのも、ただおすすめされただけだった。
しかし、このような本との出会い方には、「自分の視野を広げてくれる」という利点があるのだと感じられ、これからは、適度に「自分が読まなさそうな」本を手に取ってみることにしようと思えた。
余談
これに関していえば、インスタなどで同じような本(特に自己啓発本)ばかり読んでいる人をよく見る。なぜだろうか。
自分の人生をよくしていきたいから?
自分の人生に不安があり、それを解消したいから?ああいう本しか読めないから?
おそらくだが、同じような本を投稿することはフォロワーを増やすのに利点があるからだろう。個人的な意見でしかないが、自己啓発本を読むことは今の自分の不安を解消するためにしか働かず、何か知識を得たり考えたりするるなどの発展性は生まない。あれだけ多くの自己啓発本を読むことは時間の無駄でしかないため、戦略でないとしたら意味不明だ。(時間は大切!考え方をポジティブに!などの当たり前な感想しかもたらさないような本ならなおさらだ)
本を読む理由は人それぞれである。不安を解消したい、話を楽しみたい、知識を得たい、考えを深めたいなど。そうだとしても、生きている限り様々な状況を考えていく必要があるため、様々なジャンルの本を読むことは大切だろう。
先のようなインスタのアカウントを好んでみている人、またこぞって自己啓発本を読んでいる人は一体全体何の目的があるのだろうか。
そのような本ばかり読んでしまうのは、「読書が趣味だ」ということをただアピールしたいからではないか?そのため、自己啓発本のような手ごろで読みやすい本を一生懸命読んでいるのではないか?「年間200冊読んでます」だなんてマウントをとって、形だけになっている読書習慣を自慢したいだけなのではないか?
これは「SNSでの最適化」によって引き起こされた視野狭窄かもしれない。
たまたま見つけたインスタの読書アカウントにキラキラした読書習慣が投稿されている。SNSでの最適化によって、他にもいろいろな読書アカウントが薦められると、それに感化され、そこに挙げられている自己啓発本を読み始める。いつの間にかただ自己啓発本を読んで満足するようになる、といった具合だ。
こうはならないように(またブーメランにならないように)省み続けなければならないなと強く感じた。
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