えらいねと言われる違和感 海岸清掃/子供への声掛け
最近、こどもと自転車で隣の市まで海岸沿いサイクリングしたいなぁと思い始めたナニモノです。
頻度の高い更新している人すごいですよね。最近インプットしたい傾向がつよいこともありますが、どうしても追い付かないことを痛感しています。
なるべく頻度を上げる。無理なく楽しむでやっていきたいと思います。
家事に育児に仕事に投稿。これができてるお母さん方がnoteに多いこと
マジですごい!!
子供を寝かしつけるとか言いながら、寝かしつけられてるようじゃダメですね。
違和感はどうした
めちゃくちゃ脱線してますね。
先日も海岸清掃をしていたのですが、「偉いね」なんて声を掛けられまして。てへへ
嬉しいんですけど、海岸清掃をすることって偉いのだろうか?
そりゃ何もしないよりはいいのだろうけど。
こういうのに結構過敏ですw
素直に受け取ればいいのにねw嬉しいし照れてますw
でも違和感が強い。
根底には
日本人がボランティアや支援への、実活動への意識が低いことからくるのでしょうか。そういった活動をしていると偉いと思われる。
昔は金は出すけど動かない日本人なんて批判されていたことがあるようです。
確かに、寄付金とかは集まるけど、行動しているかといわれると?というのイメージはあります。
もちろん、立派に活動されている団体や個人、組織などがあることも承知しています。
でもね!私が思うに
感謝されたくてやっている人って少ないんではないかと思います。もちろん感謝されたら嬉しいです。感謝も力になる部分はある!
でもそれだけ(感謝だけ)をモチベーションには続かないと思うんですよね。
住んでいる街をきれいにしたいとか。きれいな海岸を残したいとか、自分の子供達の時代に綺麗な海にして返したい
こんな感じか、もっと具体的で地道な目標や意思、信念、仕組みでないと、続かないんだろうなぁっておもってます
だってゴミはなくならないし、棄てる人の方が多いから、これからも増え続けます。これが現実であって、二回海岸清掃やればわかる!
それでもやは続けるのには、感謝を求めるだねじゃ難しいんじゃないかなって話。
相手に感謝を自分に向けて求め続けるのってしんどいですよね?
子供をほめるときに
なにかやったあと、すぐ偉いねって言ってしまいます。(急に話変わります。)
これだけ聞くと悪くはないと思うのです。ですが、たまに子供の方の反応が悪い時ないですか?
えらいって褒められたときの反応。本当に小さいうちは、えらいでも喜んでくれます。いま娘はまだちびなので、喜んでくれますが、長男君は少しずつ違いがあるように思います。
少しずつ自我で芽生えると。えらいではあまり喜ばず、
「できたね」「ありがとう」「助かった」「よく気づいたね」「今日は自分からできたんだ」
の方が、喜んでいるように思います。
私の違和感もこれに似た感覚なのでしょうか。
つまりはというと
海岸清掃中に
えらいとかいうなら!あなたもやったらいいのに
みたいな感情は一切ありません。できる人、やりたい人がやればいいのです。もしくは、しなければならない人がやれば良いのだと思います。
欲しい言葉を頂けるとするならば、ありがとうや感謝の言葉が嬉しいです。偉いとかは違うのかな!
ゴミ拾いをするから、だれかより偉いとか優れているなんてことは思っていません。
それと
支援なら喜んで受け付けます。BASEでも支援を募集しています。
子供たちにきれいな海を残したい。
その思いでやってます。
最後に
感謝とかすごいとか言われたい!というのだけで、モチベーションを維持するって難しい。
子供の誉め言葉にもアップデートが必要
違和感の正体はこれかな?
という内容でした。
投稿が減ってしまい、自分が足りないなぁって思うこともありますが、こつこつ楽しんでやりたいと思っています。
これからもよろしくお願い致します。
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これからも、noteで書きたいことを書いていきます。是非宜しくお願い致します。