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雨宮に捧ぐ、『魍魎の匣』の感想

例えば、押すと脳に微弱な電気が流れて幸福感を感じられるボタンがあったとして、あなたはそれを使うだろうか?感染症の心配はないものとする。

結構クリーピーではあるものの、幸福を好きな時に好きなだけ感じられるのであれば、それはそれでいいんじゃないだろうか。人間が感じる幸福感というのは、突き詰めると脳の生体反応に過ぎない。苦労して得る幸福感も、ボタン一つで得られるインスタントな幸福感も、得られる脳内物質に差が無ければ幸福感は同量のはずだ。

と思って答えに窮していた頃が私にもありました。

限界効用逓減の法則というものがある。これは幸福にも当てはまるのではないだろうか。つまり、インスタントに得られると幸福はどんどん薄味になっていくのだ。言い換えると、頭痛薬を飲み過ぎると耐性ができて効きづらくなるように、幸福も取りすぎると耐性ができて感じづらくなるんじゃないだろうか。

これは、私の実体験からもそれほど外れていないと思っている。私は30台中盤に心身ともに健康にもかかわらず1年半ほど働かずにふらふらしていたことがある。私はあまり働くことが好きではないので、快適な毎日だったがストレスが少ない生活は幸福感を感じ辛かったし、逆に小さいストレスでも働いていた時よりも大きいストレスに感じてしまった。

かくして、前述の幸福感を感じられるボタンがあったとしても、私はそれを使わないと答えるようになった。もちろん、私の選択が正しいというつもりはないし、答えを決めることがいいことだとも言わないんだけど、「人間を辞めれば、簡単に幸せになれる」という京極堂の台詞と併せて、これを私の『魍魎の匣』の感想としたい。

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