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地球とともに生きる。~自分の行動を見つめ直して~


今日は私が今、やっている自分なりの地球との生き方について話していこうと思います。

みなさんはこれらを使っていますか?

・レジ袋

・ラップ

・ペットボトル


レジ袋は有料になりましたので、エコバックが普及しつつありますね。

その他、ラップやペットボトルの消費はどうでしょうか?


私は、以前にもお話しましたが、エシカルな消費について今興味があり、自分なりに取り組もうとしています。

ペットボトルはやめて、タンブラーに変えました。これに切り替えてからもう4年になりますが、特段困ったこともありません。

むしろ、ペットボトルを捨てる手間が減って最高です!!!笑

マイボトルというと、成田の議会で話題にあがったのが、1年前。

まだこんな考えなのか・・・・。とあきれましたが。

詳しくはこちらから。

https://bunshun.jp/articles/-/14464(文春オンラインから引用)


エコという言葉は小学生の頃になんとなく勉強しました。

海にペットボトルゴミが排出されていることや、「3R」が大事。こんなことをぼんやりと教科書で眺めました。テストで出るからと、覚えるには覚えたのですが、なぜ必要なのか。なぜするべきなのか。そういう深いところまでは考えずに生きてきました。


「人間は地球活動をおびやかしすぎた。」

このことを思ったのは、ある映像がきっかけでした。

ウミガメの鼻からペットボトル製のストローが出てきて、それが長年詰まっていた。助けるために人間が鼻からペンチでストローを取り出すとき、ウミガメの顔がゆがみ、鼻からは血がたらりと流れた。


同じ映像を見た方も多いのではないでしょうか?


それだけではなく、私の故郷神戸の海では海水浴客の残したペットボトルゴミ、花火のゴミ、割り箸・・・。そんなものが多く漂っており、白い砂浜がゴミで埋め尽くされていました。私が幼い頃からですので今はビーチクリーン活動などで変わっているかもしれませんが。

それでも最近帰郷した際、ビーチクリーン活動をしている方にお会いしてお話を聞く機会がありました。

「やってもやってもゴミが出てくる。どっから出てくるのか。日本人はきれい好きというが、全然マナーがなってないわ~」

これが現状です。


ゴミをなぜ持って帰れないのか。私は理解に苦しみました。


その話を聞いてから、自然にかえらないものはなるべく使わないようにするようにしています。


前述した、ラップ。

これは蜜蝋ラップや自然由来の繰り返し使えるものを使うようになりました。


エコバックはもちろん持ち歩くようにしています。


身近なコスメや服などにも気を使うようにしましたが、

息をするだけで地球環境を破壊してしまうような気持ちもあります。

私のちょっとした行動で地球が救われるとは思っていません。

私よりも活動しているひとが世界には大勢いますが、それを上回る人間活動の上に今の社会が成り立っているのも事実です。

もっと、人間本来の暮らしに戻ることはできないのか。

そんなことを考えています。


バヌアツ共和国のある島では、そういう暮らしを続けている人たちがいました。

彼らの島の周りはゴミ一つないのです。海にもゴミは流れていません。

そこにはたくさんの魚やジュゴンやウミガメが悠々と自分たちの暮らしを送っていました。


この美しい海を今後、自分たちが日本で捨てたゴミや活動から出た有害物質から脅かされるのではないか。と恐怖に感じました。



私がやったからといって・・・。

そういう気持ちもわかります。

ですが、最近読んだ本に書いてありました。

1人の力は無力では無い、微力なだけで何かを動かせることができる可能性はある。


私たちが、1人でも地球とともに生きていこうと考え直すことで

何かが変わるかもしれません。


残念ながら、欧米にくらべて日本のエシカル思考やSDGsに関する興味は薄いという話も聞きました。


地球にやさしく。そして、自分たちがこの地に命をもらって、人間をやらせてもらっている以上、感謝して愛してあげることも必要ではないでしょうか?

自分の周りの人だけに愛をあたえるのではなく、自分が立っている足元にも愛を。

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