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2025.2.15 早春の夜・高円寺・ぼんやり
文フリに出そうと思っているZINEの原稿を書いていたら、予約していたホットヨガの時間が過ぎていた。やっちまった。首肩がガチガチで、身体を動かしたかったから、近隣のほかの店舗を探す。高円寺店で予約が取れたので向かった。高円寺店はいつも行ってる店舗よりずっと大きく、いちばん運動量が高い「強度5」のクラスもあって、種類が多い。シャワールームもあり、スタジオは2つ! すごい。今度からこちらにも来るようにしよう。スタジオの近くに手頃な古着屋さんもあって、ふらふらするのが楽しい。高円寺に行こう! とわざわざ行って見て歩くのと、何かのついでにちょっとふらふらするのとは、歩いてるときに見てるものが違う気がする。後者の方が、ふといいものを見つけることが多い。
インストラクターさんは、背の高いバレリーナみたいな美人。ひのき木材の床の下に鉱石を敷いた床暖房が導入されているスタジオで、木の香りと床のさらさら感がとても快適だった。今日のクラスは強度2,5であまり強くないけど、この床暖房のせいか、自分の体調か、インストラクターさんのキープ時間の違いか、いつもよりきつく感じる。筋トレが足りないのか? この床、HPにも書いてあったけどやっぱり通常のスタジオより「効き」がいいのかも。
シャワールームがあるのでさっと浴びて出る。ドライヤーがありがたい。お昼ごはんは、原稿に夢中で適当に納豆ライスを食べただけだったので、お腹ぺこぺこ。夜20時くらい。中野のビアホイチョップというベトナム料理屋の系列店でチョップスティックスという店があるから、そこへ。バインミーが売り切れで、牛肉とクレソンのサラダ、揚げバナナのアイスクリーム添えを頼む。サラダを食べ終わったあと、お腹が空いて仕方ないから、焼き春巻きも頼む。デザートのバナナを食べて、それでもまだ足りなくてメニューを開いていた。しかし追加で頼むほど空腹でもないかな、という感じになってきたので、スーパーでチーズか何か買って帰るか、と思いながら席を立った。
なんと、高円寺にはアキダイがあるのだ。ここによく来るようになった暁には、安い野菜をしこたま買いましょう。ふらふら駅前に歩いていくと、マクドナルドの明るい光。マカロン、アップルパイも、いいな。ということで、入る。ホットアップルパイと紅茶を頼み、250円。この物価高のご時世に、なんてありがたいのでしょう。チェーンのカフェでも、紅茶一杯だって、400円か500円はするのに。窓際のカウンター席で、土曜の夜の酔客たちを眺める。高円寺の純情商店街は、飲み屋街だけど、女一人で夜歩いていても怖い感じはない。歌舞伎町や新大久保なんかだと、同じ酔っ払いでも誰彼構わず絡んだり、大きな声でがなり立てたり、キャッチやナンパが多かったりと、何かと治安が悪くて一人で歩きたくはないけど。ここは、バンドマン崩れとか劇団員ふうな人とか学生が多くて、高田馬場みたいな安心感がある。隣の席の男性客2人連れも、話し声は大きくなく穏やかで、最近の若い人ってちょっと違う常識の中で生きてるからね、なるべく否定しないようにしているよ、という話をしている。うんうん。話には加わらないけど、なんとなく孤独ではない。何も予定のない週末の夜、1日中家にいると息が詰まる。だからここにヨガをしに来て、本屋さんに行って、ちょっと古着を見て、野菜を買って、時々小杉湯に行ったりして、そういうルーチンを加えてもよいのかも。高円寺、こんなに近いのになぜあまり来なかったのか。いつも中野か新宿に出てしまうので、盲点になっていた。中野は私のホームタウンで、いつもすっぴんでゴロゴロしている場所だけど、高円寺もちゃんと行きましょうよ。中野のタコシェ、高円寺の蟹ブックスとそぞろ書房。なくなってほしくない場所。(だから、通りかかったら課金する。)
最近、ようやくボーっとすることができるようになった。30過ぎて、はじめて。今までは、いつも何かに懸命すぎた。何かを成し遂げようと、やらなきゃと、常に自分を追い詰めて。うまくいかないことも全部自分のせいにして。わずかな時間も切り詰めて、何かしようとしていて、休むことは罪悪のように感じていた。その結果、イライラしていたし、なにか一つできないとマイナス点をつけてしまっていた。でもまあ、もう、十分すぎるほど辛酸を舐めたと思うし、いいんじゃない? ここいらで、こんなもんだよとあきらめても。いつも150%でやらなくても。80%を継続していれば、いつか何か、見えてくるはず。時間がかかったなら、長生きすればいいじゃん。時間を無駄にすることが極端に怖かったけど、アップルパイを食べてぼやーっと通行人を眺めるの、幸せじゃない? 紅茶も、あたたかくておいしい。どうせじっとしていられない性分だし、動き回って疲れたら、それは駄目なんじゃなくて、単に疲れたってことで、休めってことなんだよ。別に、あなたが全部やらなくていいし、そもそもやらなくていいことだって意外に多い。
と、私の中にいる「理性さん」が言い聞かせてくれる。いつからだったのかもうわからないが、どうにもできない感情的、身体的な私と、その衝動をどうにか理性的に制御しようとする理性さんが、自分の中で分裂して対話を行っている。頭がおかしいのかと思うけど、本能のままに生きることを止めて
くれるストッパーだと思うことにする。
夜に一人で家にいるより、高円寺にいるほうがずっといい。ここの空気を吸ってると、なんだかしっくり来る。駅前のロータリーには、ギター一本で歌ってる男の子。「18歳、去年受験して上京」「いつだって遅くない!」と書いた立て札。ここで歌ってる人でうまい歌手は見たことないけど、新宿南口で歌う人よりは親近感がある。
今日は少し暖かくて、春の先触れのような空気。きりきりと固まっていた身体がふわっと広がる。空を見上げる余裕がある。春らしく曇った空。キーンと冴えた真冬の星空ではない。こんな空気が匂う日は、「春の雪」が読みたいな、と思う。豊饒の海の第一巻。聡子の若い姿と、老いた姿の二重写し。とても重層的な小説で、ちゃんと読めた気はしないけど、若い女と老いた女、春と冬、相反するもの、異なる時間に属するものが同時に存在していて、それでも同じもの。そんなイメージをいつも思い出す。読んだのはもうずいぶん前になる。今読めば、もっと違う感想を抱くだろう。
そして7月になったら、「罪と罰」を読みたくなって、固い黒パンを食べ、サンクトペテルブルクの大地にキスしてみたくなる。もっと暑くなれば、次は中上健次の季節。新宿に、中上健次御用達の喫茶があるらしいけど、喫煙店なので入れずにいる。髪や服に匂いがつくのが神経症的に嫌なのだ。
あまり寒くもない夜だから、ふわふわと足取りも軽い。あとは寝るだけ。