26歳、大号泣して心肺蘇生された話
今日は、何年かぶりに大号泣をしました。しかも25人の前で大号泣。
恐らく、中学生の時に祖母が亡くなって以来の大胆な号泣っぷりでした。
金曜日から3日間、朝から晩までびっちりとコーチング CTI応用コースを受けてきました。
コースでの体験が号泣するほどに衝撃的だったので、前回と同様、大切な感情を覚えておく為に拙い言葉ではありますが、残しておこうと思います。
↓今までのコーチングを学んだ上での気付き
今回、コーチングを通して向き合ったテーマは、「共にいたくないもの」。
そして、私が共に居たくないものは、「誰かのレールに敷かれること」でした。
一人っ子の私は、幼い頃から母親が敷くレールに従って生きていました。
母親が右を向けと言うから、右を向く。
「有名な大学、企業に入ったら将来安泰だから」という、世間・母親の言葉を素直に受け止めて、いつも母親が一生懸命敷いてくれたレールに沿って生きてきました。
そうすれば、母はいつもご機嫌で、私を愛してくれると思っていたのです。
幼いながら親の期待に沿っていないと、見捨てられてしまうと思っていたのかもしれないです(そんなこと絶対にないのに)。
本当は左を向きたかったのに、左を向いたら愛してもらえないかもしれないと勝手に思い込み、自分の感情を上からぎゅうっと押し潰して小さな箱に入れ鍵を掛けました。
まさに心肺停止状態、ツーーー。
感情を出してはいけないと、無理やり感情の起伏を平坦に。笑顔の仮面を付けるときもありました。
そんなことを何十年もしていると、段々と私の身体に反応が出るようになっていきました。
最初の反応は、就職活動の時に始まりました。
大学の就活相談センターで、模擬面接を初めて体験した時のことです。
「貴方は将来何をしたいですか?」
「私は…」
自分が本当にやりたい事を伝えようとすると、喉の奥がキュッとするのを感じました。
胸の奥が熱くなって、やばいやばい、泣いてはいけないと太ももに爪を立ててこらえます。
耐えた後、就活生の見本のような、つまらない、ありきたりな言葉を口にすると喉の強張りがすーっと解けました。
今思うと、自分のやりたい事を口に出して、「自分の意見が認められないこと」に恐怖を感じ防御反応が出ていたのかもしれません。
その出来事以降、全く悪いことをしていないのに、自分のやりたい事を口に出そうとすると喉の奥がキュッとなって感情が昂り、涙が出る様になりました。
社会人になって、キャリア面談をする時も同じ反応が起こります。
喉がキュッとなって、全身が「言わないで!!!」と私自身に訴えるようになってしまったのです。
さて、今回、コーチングを通して、自分の「今」に焦点を当てて、この喉の締め付けをより深く体感してきました。
今、何を感じていますか?
何気ないコーチからの投げかけに、自分の気持ちを素直に伝えようとすると、
また喉がキュッとなって「言わないで!!」、と。
認められないのは嫌だ!と全身が叫んでいました。
私にとって、「認められない=愛されていない」ということだから。
苦しそうだね、一緒にいるから、全部吐き出していいんだよ
あぁ、本当に苦しい。
今まで言いたいことは沢山あったのに、
20数年間ずっと私の言いたかった言葉達は喉の奥に突っかかって、太ももに爪を立てながら必死で飲み込んでいたんです。
でも、急に頭にふわっと降りてくるものがありました。
認めていなかったのは、自分自身ではないか
自分を愛していなかったのは、自分自身ではないか
自分の感情に蓋をして、感情を認めていなかったのは自分ではないか
この言葉が降りてきた瞬間、20数年分の大洪水が起きました。
いつも、私が伝えたい事を口から出すときに、喉の奥でキュッと押さえていた涙でした。
私は、ずっと、泣きたかったのだ。
人前で泣いてはいけない、泣いたら相手に引かれてしまう、大人なのに泣くなんて弱い人間だ。
そう思われるのが怖くて怖くて、いつも喉の奥を硬くして、太ももに爪を立てながら泣かないように努めていました。
ごめんね、無視しててごめんね。
20年間分の涙が全て出たあと、私は初めて、共に居たくない感情と向き合い、認知し、愛おしいと思えたのです。
ポジティブ思考が大事なんだ!!と世の中では謳われていますが、本当にそうなのでしょうか?
無理やりポジティブにならなくてはならないと、「今」自分が感じている大切な感情に重い蓋をしていませんか?
今回、自分の負の感情に向き合い尽くして感じた事は、「自分は本当に愛おしい人間だ」という事です。
人間は愛おしくて尊い。
負の感情もまるっと引っくるめて、愛おしい。
大人だから泣いてはダメだと誰が言ったんだ!
泣きたいときに泣き、笑いたいときに笑うのが、「今を生きる」ということじゃないのか!
あ〜それに気付かせてくれたコーチングはやっぱり凄い!!