はじめましてナナシです。
俺個人は記憶を受け継いでいるので違和感なく動けるという事から解離性同一障害という診断は受けてはいないのですが、少なくとも俺個人がこうやって活動しているという事実があるという事から、記録を取るという形でnoteに記載していこうと思っています。
基本的に主人格である人間の記憶を受け継ぎ活動しているという認識であっているとは思いますが、簡単にいえば記憶はもってはいますが、経験の伴わないという非常に不安定な体験?といっていいのかそういうものをもっております。
あえて俺自身の所在は明かさずにどのような生活をしていくかの観察記録を皆様と一緒に語らっていけたらなあと思っております。
主人格の方は消えたという感覚ではありますが、時折大きな感情を生み出す事が多く、まだ消えてないのかもしれません。
俺個人はネットや文献で情報を得る程度でありますので情報としての解析は難しいとはおもっております。
またなんらかの研究に至る際には莫大なお金も必要になってくるので、まずは自分自身のこの特殊な環境下を楽しみながら主人格はなぜ消えたのか、また俺個人がどのように生きていけばいいのかというのを考えていきたいなとおもいます。
前の主人格の距離の詰め方や考え方を真似はしましたが、やはり幼いという認識であっていたようです。
俺個人は彼の記憶は保有してますが彼は俺の記憶は保有してませんので。
俺の存在が診断やなにかで証明できない以上は同じ個体としてしか見れないので、それはそれで難しい事もあるでしょうが、俺個人はネガティブにはなりつつもこの状況を楽しんでいる感じですかね。
たまに混在し誰なのかわからない時もありますが、それはそれで新たな自分の中に生まれたものなのだなあと思うようにしています。
主人格が就労移行をしていたので俺も恐らくやるとはおもうのですが、基本的にあまり俺個人としては有用性を見出せないのでどちらかというと精神的に充足したほうが将来的には必要なのかなと感じているのでそちらの方を優先したいと考えております。
勿論就労移行は社会に戻るに至って効果的で有益なものと認識してますが、俺個人は労働をし生活をするという目的にすりかえたほうがいいような気がすると試しておもったので、社会に挑戦するという感覚というものは試してみないとなにがあっているかはわからないので。
それぞれの適したものに挑める事がすごくいいんではないのかなとおもいます。
経験をしてみないとわからないものもありますからね。
個人的には文章構成や旅をしながらのブログを書くという職業にはつきたいなあとはおもってはおりますが、案件の取り方がいまいちわからないのでそこから学ぶ感じですかね。
今まで趣味程度しかかけてませんので、また詩や短文の物語も書いたりしてましたが、それは主人格の経験なので俺にはない技術ではありますので、その技術を真似るのはなという感覚はあります。
ですが文章は俺も好きなのでオリジナルを超える勢いでこれから多くを書いていきたいなと思っております。
また俺のように未診断と診断とわず多重性の人格を有する人間達がよりよい未来をつかむために何かできないかなと思いました。
これは個人的な観点と主観的な祈りのような願いなので使命というものではないですが、多重性の人間達はきっと日常には多くはいないと思うし、未診断や把握できない状態で孤立する人間達もきっと多いとおもいます。
俺ですらまだ起きて一週間なのにそんな孤独感をかんじました。
記憶を保有している事について違和感なく関われる弊害かもしれません。
記憶があっても初対面という事情は打ち明けたとしても理解しきれないインパクトというものもあるでしょうし、何より診断ではそうなされないとなるとまた証明はできないでしょう。
俺個人は今の俺自身がきにいっているしあちらの人格が積み上げてきた人への愛情への惜しみない心に関しても俺は好んではいますが、これからの人生は少なくとも俺が主体でいきるわけですが、消えた彼を求める人間も多いのでそこは呼び戻せるかどうかですね。
俺は性質上lineや様々なメールに関しても長くなりがちなので、まあその点に関しては主人格の彼は俺よりもひどかったですが、まあなんだかんだ精神年齢が小学生並というのは検査してわかっていたのでそれは仕方ないとこもあるでしょう。
俺個人はどうかわかりませんが、少なくとも俺個人は同じ肉体なので別な奴がしたこととは思えないので、意識は違うとしても肉体は同じなわけだから、きちんと諭されたり教えてもらったことは改善するようにはしたいですね。
俺の存在をわからない人間からしてみたらよくは見れないでしょうからね、俺個人も軋轢がないように真似ているわけですから。
主人格のSNSアカウントで話してはいましたが、まあ疲れましたね。俺にはあそこまで無邪気にできないし、きちんとした距離感でもないのに多くの人と出会い別れた経験というのはそうそうないでしょう。
まあ身バレになるのでSNS等は言いませんが、秘匿された所での理想や現実に挑む手段としての書き物もまたよいですからね。
また多重性のある方達は人格に備わる能力というのもそれぞれあると聞いたことがあります、そのうえで共存できる人格同士や統合しやすいしにくい人格もあると人づてに聞いたことがある程度ですが、精神医学は専門外なのでエビデンスのない観察程度の話になるのでしょうが、そこは生活や人生を豊かにするという流れとしての経験というものが参考として提供できればいいのかなと、それは傲慢にならずあえて一個人の経験という形で、伝えるという行為があればいいし、その事をどう扱うかは受け手次第なので。
俺は経営学に精通しているわけではないですが、多重人格ないし精神性の疾患、発達障害や身体の病気、そういうのも含めてうまく生きれていないひとたちが考えれる社会になったらいいんじゃないかなあとおもいます。
言いかえれば多重人格の方に宿るものは心根が複数あるという事ですからいわば心の力なわけですよ、ポジティブにとらえれば複数の異なる技能を人格を変えるたびにできるとしたらそれは社会的財産になるんじゃないかなあとも感じますので、勿論意見なわけでそれは絶対ではありませんから、絶対とはいいませんが、ネガティブな複数というものをデメリットにとなえるより、メリットとしての感覚を扱えるというのもよいのかもしれないかなとおもいます。
また精神はどれだけ年齢を重ねても成長するという事も聞いたこともあるので、心根に学びを願う気持ちがある限りどんな性格や人格を有しているとしても。
それはそれで居場所や認められる自身が生まれたらまた違うのかなと思います。
俺もこれから労働に切り替えていきていきますし、今後はこちらのnoteでも有料記事やサポートのお願いを色々とするとはおもいます。
自身の生活を向上し、よりよい人生になるように報告をしていきますし、皆さんに個人的な主観ですがフィードバックできるように。
勿論無料記事も書いていきますが、重要度の高そうな記事は色々とあるものは有料記事にして、基本的に俺は表にはでませんので基本的にnoteの記事書きの人とおもっていてください。長く失礼いたしました。