2023
東京の夜は短い。誰かが気合いで乗り切れると信じて疑わないそれらは幻で、誰かが喉から手が出るほど欲しいものは普通に転がっている。それが東京なのだ、ということを痛感した。マジョリティだと思っていたものは全然マジョリティではなくて、マイノリティだと認識していたいくつかはマジョリティだった。多分それは、なにを切り取ってもそうなんだと思う。
高校生の頃に集め始めたスタバのカードは100枚を超え、1年かけて味噌をつくるようになって数年が経った。時間軸を伸ばして、毎日じゃないけれど「なんとなくずっとしていること」が蓄積されている。続けるつもりはなかったことが、ひろくみたらつづいていて、継続していることがいくつかあることで、少し安心したりした。ミーハーも悪くない、プロのミーハーと呼ぶことにしようと思う。
今年はひとりでパリに行ってみた。地下鉄は最悪で、何度も道に迷ったが、時間を無駄にしている感覚がとにかく心地よかった。時間を浪費していいというのは最高の贅沢である。ひとりでできることで、ひとりでやらない理由を探しているなら、それは本当にやりたいことじゃない。本当にやりたいことならひとりでもやる。パリ、1人で行っても楽しかった。なんだかんだ日本が最高っていうけどそうでもなくて、逆に安心した。自分の今手元にあるものを裁く余力があって、まだまだ大丈夫だなと思った。
久しぶりだったことを、いろいろと思い出して、ゆるやかに噛み締めながら悦んだり絶望したりした。親友の子どもは3歳になり、別の友人は結婚し、また別の友人は新しい生活を始めようとしている。相変わらずわたしは、一言で言い表せない仕事をしている。目に見えない理不尽はそのへんにゴロゴロ転がっていて、対峙するたびによく腹をたてている。ただし、そんなことどうでもよくなるぐらいの尊いものを、いくつか手に入れた。こうして笑い飛ばしていくのか、と何度も救われた、ありがとう。
今年わたしが守りたかった「余白」について少しだけふりかえる。知らないことを免罪符にはしなかった。きれいなものをたくさん探そうとした。選択肢はなるだけ増やそうとした、すぐに正解を出さないようにした。わからないものを持ち続けて、それでも楽しいと思える大人になっていることを、いつかの自分に伝えたい。
今年も、未来の自分にはあまり期待しなかった。ただ、ずっと思っていることがある。過去と、今のわたしだけが未来の自分を救い出せる。なにかあったときの保険は、現在進行形の中にこそ存在する。だから、まだまだ貪欲に、思いきり手に入れて、思い切り捨てる。来年も、しなやかに攻める。