ダンサー志望がヒトラーの秘書になるまで
アメリカのオレゴン州ポートランドに住んでいます。雨の多いポートランドは、読書がはかどる街。午前はコーヒーとおやつ片手に、夜はソファにねそべって、今日も世界を読みかじる。
わたしの住む国アメリカは、イスラエルによるパレスチナ人虐殺を支援するために、たくさんの武器と資金を送り込んでいる。それだけでなく、パレスチナを援護する動きを見せたイエメンという国に、空爆まで始めてしまった。アメリカ国内では戦争は起きてないものの、自然と意識の中に、戦争が入ってくる。少なくとも、わたしの意識の中には。
その一方で、戦争なんて暗い話をしても誰にもよろこばれないし、不安になるだけだから、別のことに集中した方がいいのかもしれない。そういう迷いを感じるときもある。
そんな逡巡の中で、手に取ったのが「私はヒトラーの秘書だった」という本だ。第二次世界大戦中、もともとはダンサー志望だったけれど、稼げる仕事を探しているうちに”なりゆきで”ヒトラーの秘書になったトラウデルという女性が、彼女から見たヒトラーと、当時のことを率直に語った回顧録。心に一番残ったのがこの部分。
前後を読むともっとわかりやすいのだが、要するに、彼女の実家は経済的に苦しんでいた。ダンサーになるという夢をかなえるために、ダンスを練習するための時間と、収入のよさ両方を兼ね備えた仕事を探していたら、秘書(タイプライター)の仕事にたどりついた、というわけだ。しかし、その会社とはそりが合わず、ダンサーの試験に受かったことをきっかけに、辞職届を叩きつける。
トラウデルの葛藤は、現代にも通じる悩みだ。
トラウデルはタイプライターを続けながら、満を持してダンサーの試験に合格したのに、気がついたら戦争で、職業統制がかかっていて、「職種を変える」ことができなくなっていたのだ。戦争が始まれば、思ってもみなかったところから自由が制限される。そこが心に残った。
ダンサーになれないとしても、前の会社はセクハラでどうしても辞めたかったので、次の職場を探していたら、つてでヒトラーの秘書のポジションを見つけた、という”なりゆき”だったそうだ。
ヒトラーが自殺する最後の瞬間までヒトラーのもとで働いていたにも関わらず、もともと彼の政治的信念に強く賛成していたとか、そういうわけで仕事を得たのではなかった。戦争に興味がなくても、戦争の中枢で働けるということ、それがわたしにはショッキングだった。
この本を読んでみて、トラウデルさんは多分正直で普通のひと、「悪いひと」ではないんだろうなあ、と思った。それと同時に、ナチスの中枢で働いていた人が一切処罰を受けず80歳くらいまで生きたのに対し、パレスチナ人たちがホロコーストの埋め合わせをさせられているのは、言葉には到底表しきれない不条理。
戦争のことばかり考えたくはないけど、なにかクサイと思ったら、なるべく早く戦争にNOと言って、戦争に巻き込まれないようにしたいと思った。やりたいことができなくなるから。