今を少しでもいい方向へ紡ぐ
現代において情報は簡単に手に入ります。
スーパーな先生のスペシャルな教室の様子や煌びやかな子どもたちとの関係性、憧れる教室はたくさん思い浮かびます。(逆も然りですが笑)
翻って自教室で考えると、思うように上手くいかないという方は多いのではないでしょうか。
私もその1人です。
自由進度で子どもの主体性を大切にしたい!
という実、なかなか身の入らない子どもたちにヤキモキしたり、
何度も指導してきた!
と思う実、何度でも同じ過ちを繰り返し、「だから何回もいってるやん!」と腹を立てていたり。
ないですか?
ぼくはあります。めちゃめちゃあります。
もうほんと笑
先日、おうちの方とお話しするとこんなことを言っておられました。
「いつも家で一緒にいると成長ってほんと見えづらいんです。」
学校も同じだなぁと思います。
成長って見ようとしないと見えてこない。
ただ一緒にいるだけでは、成長したことはわかりづらいんです。
成長をわかりやすくするのは記録です。
毎回の身体測定のたび子どもたちは「よっしゃー!」と伸びた身長を喜んでいます。
自分で伸びた実感はないと思いますが、記録することで分かりやすく成長を感じられるいい例だと思います。
なんでもいいです。
数字でも文字でも写真でも。
記録が残っていれば今と見比べて成長を実感しやすくなります。
下の通信は、日直の書く日誌の備考欄に書いていたことをまとめたものです。
改めて見返して、そんな変わってないやんと思いつつも、でも微妙に書く内容に変化が見えます。
「つかれた」などのマイナスな言葉が減り、友達の頑張りに視点を置ける人が増えています。
ドラマにあるような劇的なドラマをきっかけに子どもたちが変わるなんてこと、そうそうあるものではありません。
現実はもっと、地道な陸続きです。
通信の最後にも書いたように、世には運の「いい人」と「悪い人」がいます。しかし、それはどこまでも自分の思い込みであり、当然、確率的には皆平等です。
それをありがたく受け取るのか、自分にはこれだけしかないと受け取るのか、その人次第ですが、受け取り方で大きく心は変わってくるように思います。
今与えられている事実は如何にもしようのない「事実」です。
それをどう解釈するかは人次第。
ぼくは、学級通信は学級の"今"を少しでもいい方へ紡いでいくものだと思っています。
今を記録し、だからこそ見えてくる成長を価値づけ、子どもも先生もお互いにちょっとした伸びを喜びあっていくもの。
それを紡ぎ続きていくもの。
それがぼくにとっての学級通信です。
きっと「煌びやかな姿に憧れるけど、自分の仕事では思うように進まない」という方もおられるのではないかと思います。
教師という仕事に限らず全ての仕事において。
自分の思った通りに進まないこと、私も山ほどあります。
だからこそ、記録していきましょう。
今がどん底だというならここを記録しておいたらどん底からちょっとでも這い上がったことが記録から分かります。
一年生の実践で、4月の1番最初に自分の名前を書かせて、3学期にもう一度書かせるってあるじゃないですか。
4月に記録してたからこそその伸び具合が如実に見えてくるわけです。
記録さえあれば、後からどれだけも価値づけていけます。
ちょっとの伸びを楽しめます。
きっとなんでもない事実を楽しめる、そういう人が1番人生楽しめるじゃないですか。
煌びやかな実践と自分の実践は、ほど遠いかもしれないけれど、
自分の代わりなんていくらでもいると思うこともあるかもしれないけれど、
現実的に今、子どもたちと共に地道に歩んでいけるのはあなたしかいないんです。
ローマは一日にしてならず
千里の道も一歩から
塵も積もれば山となる
雨垂れ石を穿つ
今を少しでもいい方へいい方へ価値づけて紡いでいきましょう。
マガジン「紡ぐ学級通信」では、オンライン教育サークル「まほろば」のメンバーが学級通信に関する記事を連載しています。
このマガジンがあなたの教室を少しでもいい方へ紡いでいく手助けになれば幸いです。