まさかの休職、妊娠、家探し。予想外の1年を経て思うこと
休職、妊娠、家探し。
2024年、どんな1年だった?と聞かれたら、この3つを真っ先に挙げたい。
京都への移住、転職、結婚という怒涛の変化を乗り越えた2023年。ようやく変化にも慣れ、さあここからだ!と気持ちを新たにした昨年の元旦。まさかその翌年もこんなに変化が目白押しになるなんて、1年前のわたしは全く想像していなかった。
そんな2024年をひとことで表すと、「現実を受け入れることができるようになった1年」だったなと思う。
出産という、人生の大きな転換点を目前に控えている今。2025年を納得のいく1年にするために、「予想外」の連続だった2024年を振り返り、そこで見た景色や感じたことを、しっかり書き残しておこうと思う。
【冬:崩壊】「頑張る」そう決めた新年、いきなり休職
2024年1月2日。今年はひとりの時間をつくろう!と決めてnoteで宣言したのも束の間、春に控えていた結婚式に向けて準備が本格的にはじまり、勢いよく時間が流れはじめた。
ただでさえお互いにこだわりが強く、前々から「やるなら最高の結婚式にしよう」とふたりで決めていたこともあって、土日はほぼ打ち合わせや企画会議、撮影や制作などでスケジュールが埋まっていった。
当日までのガントチャートを作って、100個以上のTODOを週単位に区切ってふたりで管理した。その多さに圧倒されつつも、最初はむしろわくわくしていたし、「やるぞ!」という前向きな気持ちでそのリストを眺めていた。
ちょうどその頃、会社で半年に一度の表彰式が行われた。個人的にはそこそこ手応えがあったものの、結果は無惨。何も受賞できず、悲しさと悔しさだけが強く心に刻み込まれた。
次こそは、絶対あの壇上に上がる。そう心に決め、半年後の表彰式に向けて、とにかく日々目の前の仕事に専念した。いま自分が持っている仕事だけじゃ、きっと足りない。もっとやること、できることを増やそう。
目の前の人が求めていること、周りに期待されていることを、とにかくやり続けた。そうすれば、わたしはもっと必要とされるはず、そう信じて。ただでさえパンク寸前なのに、新しいプロジェクトの募集があれば手を挙げ続け、自ら仕事をどんどん増やしていった。
もともと相手の感情や期待を先に感じとり、それに自分を合わせる習慣が染み付いていたのも相まって、上司にも「ここ最近、変わったね!」と言われるくらい、その頃のわたしは周りの期待に応えようと必死に走り続けていた。そんな自分を「いい感じ」とすら思っていた。
けれど、そうやって全力で走り続ける日々も長くは続かなかった。
平日は仕事、週末は結婚式の準備。大量のタスクと期限で頭は埋め尽くされて、常に時間に追われて過ごす日々。ただでさえリモートワークで家にいる時間が長いのに、週末も外に出られず朝から晩まで「やるべきこと」をひたすらこなす日々がしばらく続いた。
結婚式の準備なんて、ふたりともやりたくてやっているはずだった。それなのに、お互いどこか疲れが見え隠れして、家の中にも重苦しい空気が充満することが増えた。気づいた時には感情が波立つことも減り、足元から土の中に埋まっていく、そんな感覚になることもしばしばだった。
そんな状態が、3ヶ月ほど続いたある日。連休前の夜、夫と食事をしていたら突然涙がとまらなくなり、過呼吸になった。
家に帰っても、お風呂に入っても、涙はとまらず呼吸もうまくできず、自分の感情も身体も、自分の意思では動かせないところにいってしまった。そんなわたしに、彼はひとこと「もう休みなよ、ななみは充分よく頑張ったよ」と静かに言った。
だけどわたしは、その時抱えている仕事やプロジェクトを手放すことなんて全く考えられなかった。
いまが入社して一番上手くいっているし、ここを乗り越えたら絶対に成長できるはずだし、きっと次は表彰を狙えるし、そうしたら自分は会社でもっと評価されるはず。
自分でやりたいと言って引き受けたものをここで無責任に手放すなんてあり得ないし、周りにも迷惑がかかるし、期待してくれていた人にも申し訳ないし、今まで頑張ってきたことがすべて水の泡になってしまう……そんなようなことを、取り留めもなく話した。
一体どのくらい時間が経ったのだろう、ふたりで向かい合って、身体じゅうの皮膚がしわしわになるくらい湯船に浸かっていた。それでも話に決着はつかず、どうしても働き方を変えようとしないわたしに呆れ果てた彼は、「わかった。もう好きなようにしたら」とだけ言って出て行った。
すっかりぬるくなった湯船に残されたわたしは、その表情がわたしへの怒りでも諦めでもなく、悲しみだったことに気づいて、ああ、わたしは彼を深く傷つけてしまったんだな、と思った。
大切な人を傷つけて、ここまで心配をかけて、わたしは一体なんのために頑張っているのだろう?どこかで頑張り方を、間違えてしまったのだろうか?そんな疑問がよぎったけれど、止まることも、やめることも、捨てることも、その時の自分には選べなかった。
必死に掴み取ってきたものたちが、自分の中から出ていってしまうのが、怖かったから。
けれどその2日後、わたしはしばらく会社を休むことになった。
「もっと頑張りたい、頑張れるはず」と心では思っていても、身体がその気持ちについていけなくなってしまったのだ。
【春:発芽】休職がくれたのは、新しい自分との出会い
休職期間がはじまり、わたしは少しずつ活力を取り戻していった。近くでみていた夫にもその変化が伝わるほど、日に日にわたしの表情は明るくなり、「もとの自分」が戻ってきたみたいだった。
誰かの期待に応えること。それはとても大切なことだけれど、それだけに固執して自分の心や身体が壊れるほど頑張り続けても、持続しない。何より、自分も周りの人も、深く傷つけてしまう。そんな当たり前のことに、立ち止まってから気づいた。
この3ヶ月間のわたしは盲目になっていたんだなあ。そう気づいてから、「いままでの自分の頑張り方」を、あらためて見直す必要があるのかもしれないと思いはじめた。
いまの会社でも、中堅と呼ばれるような年次に差し掛かっていることもある。わたしがこんな無理な働き方を続けていたら、後に続く人にとっても未来は苦しいものになってしまう。そうならないためにも、「また働きたい」と思えた時には、自分なりのバランスをみつけて仕事ができたらいいな。ひとり静かに過ごすなかで、そう思った。
休職開始から、数週間が経った頃。あんなに休むことや手放すことが不安で、一度立ち止まったら何もかもなくなってしまうんじゃないかと思っていたわたしは、ただひたすら「休む」ことを通して、これまで縛られていた執着から自由になった。
朝起きて、その日やりたいと思ったこと、行きたいと思った場所へ足を運ぶ。目的やゴール、やるべきことは何も決めない。ただひたすら自分の心に耳を澄ませ、小さな声に応える。
最初はやりたいことが分からず、むしろやるべきだったことが気になって、休むにも休めない状態だった。けれどそれを続けていたら、少しずつ自分が好きだったものや大切にしていたものを思い出して、「これからも守っていきたいもの」とそうじゃないものが、徐々にわかるようになっていった。
朝、陽の光を浴びて、心の赴く場所へ行き、好きな本を読み、文章を書き、ご飯をつくってふたりで食べる。仕事という「やるべきこと」がなくなった生活では、料理が新たな「やるべきこと」になりつつあった。
夫のために、毎晩ご飯をつくって仕事終わりの時間を待つ。結婚してからはじめて訪れた平穏な日々は、わたしにとってかなり新鮮な毎日だった。そして、そんな穏やかな日常を過ごすなかで、「こういう暮らしもありなのかもしれないなあ」と思う自分がちらちらと顔を出しはじめていることに、自分でも驚いていた。
仕事や自己成長がなによりも大事だと思っていた、社会人6年間の自分。そこから脱皮して、新しい自分に生まれ変わろうとしているみたいだった。
もっと自分を大切にして生きられたらいいな、という感情と一緒に、これからは、家族との暮らしを守ることに重きを置くのもありかもしれないな、という想いが、自分のなかにはじめて芽生えた瞬間だった。
【夏:沈没】妊娠発覚、暗闇のなかでの家探し
無事に体調も回復し、前向きな気持ちで復職。穏やかに働きながらも徐々に新しい暮らしのペースを掴みはじめた初夏。
しっかり休むことができたのもよかったのか、新しい挑戦に心が向きはじめていた。
改めて、これからの自分の人生をつくっていくための挑戦。小さいながらも確実に未来につながると信じてはじめたとある計画の最中、発覚したのが妊娠だった。
実感もないまま産院に行き、「おめでとうございます」と言われてもまだふわふわした気持ちで電車に揺られていた。
帰り道「なんか無性にハンバーガーが食べたくなってきた!これって妊娠のせいかな?」なんて呑気に笑っていられたのも束の間。その数日後から、地獄の日々がはじまった。
妊娠や出産に対して、小説やドラマで得た知識くらいしか持っていなかったわたしは、完全につわりというものを舐めていた。身体も強いし、きっと大丈夫!なんてたかを括っていた自分を殴りたくなるくらい、それはもう、想像を絶するくらいしんどい日々だった。
最初の数週間こそ、食べられるものを選べばなんとか口にすることはできたけれど、それも数日単位でころころ変わる。これが食べられる!と思ってたくさんストックしておいた食材が、数日後には視界に入るだけで気分が悪くなる。せっかく夫が夜中に買ってきてくれたサンドイッチやおにぎりも、賞味期限が切れてしまって食べられず、何度も申し訳ない気持ちで冷蔵庫から目を逸らした。
そしてなにより、2ヶ月半ほぼ毎日嘔吐が続いたのは、人生で間違いなく一番しんどい経験だった。1週間固形物を口にすることもできず、水すら飲めず、朝から晩まで横になって過ごしていても1日に8回も嘔吐してしまった日なんて「わたしはこのまま消えてなくなるのかな…?」と思わずにいられなかった。
横になっていても眠れるわけではなく、かといって本やスマホの文字を見る体力もなく、ただひたすら寝室の天井をみつめて過ごした。文字通り「ただ息をしている」だけの状態が続いて、心身ともに衰弱し、感情すらも湧かなくなっていった。
そんな体調でも変わらず仕事はあるし、周りに迷惑をかけられないし、だけど仕事中に突然嘔吐が襲ってくることもしょっちゅう。1週間、毎日起き上がることもできず「今日もお休みさせてください…」と連絡し続けた9月の後半、精神的にも限界を迎えようとしていた。
せっかく復職して、好きな人たちとやりがいを持って仕事ができるようになったのに、働くことができないうえ、周りに迷惑をかけ続けるなんて…いっそこのまま休んでしまった方が、みんなにとってもいいのかもしれない……
そんな後ろ向きなことを考えながらも、理解のある上司や優しい同僚たちに支えられ、休み休み、できる範囲でなんとか仕事を続けることができたのには、本当に感謝してもしきれない。
そしてなにより、文句ひとつ言わず(それどころか、毎日「頑張ってくれてありがとう」と言ってくれた)、わたしがその時かろうじて食べられるものを買ってきてくれたり、週末に気分転換でちょっとした外出に連れ出してくれたりした夫のおかげで、日々絶望に飲み込まれそうになりながらも、なんとか希望を捨てずに乗り越えることができた。
つわり期間と同時にはじまったのが、家探しだった。
夫が偶然とった1本の営業電話がきっかけで、わたしの体調が比較的いい日には、色々な家を見に行った。
その中でも特に、あるリノベーションを専門とする小さな会社との出会いは、わたしたちの人生にとって大きな変化をもたらした。
よくある不動産の営業とはまるきり違った初回の打ち合わせでは、最初から社長さんが出てきた。そして彼の熱量のこもったプレゼンに、ふたりともすっかり心を掴まれてしまった。
その会社では、毎回の打ち合わせでワークを行う。「人生のモチベーショングラフ」「過去に住んでいた家の間取りとそこにまつわる思い出」「理想の暮らし」などなど、毎回さまざまなテーマについて個人・夫婦で考え、打ち合わせでそれを話す。
わたしも夫も内省が好き。そういうワークにもわりと慣れていたし、楽しく取り組めるタイプだったこともあって、毎週ふたりで話し合いながら理想の暮らしや人生について解像度を上げていく作業はわくわくしたし、気分転換にもなってありがたかった。
年明けに家族が増えることもあって、年内には家を購入した方がいいかもしれない、そんな話もあがりはじめていた頃。
長く続いたつわりも無事に終わりを迎え、久しぶりに実家に帰省して家のことを話してみると、想像以上に強く反対された。いまの世の中のことを冷静に考えたうえでの反対意見だったものの、その根底には、わたしたちの今とこれからの経済力への疑問と心配があるようだった。
今まで、わたしの選択に対して何かを強制したり批判することがあまりない父だったから、これには少し面食らった。それと同時に、急に厳しい現実が目の前に押し寄せてきた。
わたしは自分が思っていた以上に、父にまだ社会人としての自分を認めてもらえていないのかもしれない。わたしたちはなんだってできると思ってきたけれど、そんなことないのかもしれない。
実際、客観的に自分の現状や立ち位置をみつめた時、学生の頃に思い描いていた姿と、いまの自分との間に大きな溝があることは、認めざるを得ない事実だった。
あの頃想像していた年収や役職には、到底届いていない。かと言って、自らそれらを捨てて自分にしかできない仕事をしているわけでもない。中途半端な自分のまま、20代を終えようとしていた。
大きな夢や高い理想ばかり追いかけて、実態がまるで伴っていない。そんな自分に気づいた時、わたしの心は大きく揺れた。
【秋:逡巡】 突きつけられた現実と希望
つわりが落ち着いて、2ヶ月半ぶりに自由に動けるようになったこと。久しぶりに東京で仲の良い友人や先輩と会ったこと。仕事がまた忙しくなってきたこと。そして何より、家の購入について父に強く反対されたこと。諸々の要因が重なって、わたしの家探しの優先度はゆるやかに下がっていった。
反対に、理想の家づくりが日々の楽しみであり大きな目標になろうとしていた夫との会話は少しずつぎくしゃくし、住む家やこれからの人生を考える時間を持つことが、わたしの中で億劫になりつつあった。
妊娠によるホルモンバランスの変化なのか、あんなにつわりの間そばで支えてくれた夫への接し方がどうしても雑になってしまい、家づくりへの温度差が開いていたことも相まって、夫婦関係の雲行きも怪しくなっていた。
京都市内に住み続けることへの想いを捨てきれないわたしに対して、市外や他県に住むことも視野にいれている夫。「どこに住むか」「どの程度いい暮らしをするのか」によって、お互いの仕事の内容や、仕事と家庭の比重、今後の働き方が大きく変わってくる。
特にそれは、「稼ぐこと」を優先するのか、「やりたいこと」を優先するのか、まだ決めきれていないわたしにとっては大きな選択で、いますぐそれを決めることなんて、到底できなかった。
なにより「子供が生まれる」という、自分にとって未知の世界に飛び込もうとしている今、体力的にどこまで仕事と家事、育児をこなせるのか分からなかったし、どのくらい子育てに時間を使いたくなるのか、どのくらい自己実現を優先したくなるのか、自分のことながら全く想像することができなかった。突きつけられた現実に対して、やや自信をなくしていたのもあるかもしれない。
理想の暮らしを実現するために、わたしたちはこれからどう生きたらいいのか?それは一朝一夕で答えがでることではない。強いて言えば「いまは決められない」それがわたしの答えだった。
家探しは、延期にしよう。夫の夢であり、仕事を頑張る一番の目的になりつつあった「理想の家づくり」を中断するのはほんとうに心苦しかったけれど、ふたりで話し合いを重ね、一旦先送りすることになった。
だけど、未来に向けた大事な問いと真剣に向き合ったことで、いまの想いや、これから考えるべきことが見えてきたから、このタイミングで「家探し」というイベントが訪れたことは、ふたりにとってよかったのかもしれないな、と思っている。
家探しが一旦幕を閉じた頃、京都はいちばん美しい季節を迎えようとしていた。そして、その時期は毎週のように新しい人と会っていた。
そのなかで、これからの人生にとって希望になるひとつの出会いがあった。夫に連れられ、早朝からやや重い腰をあげて参加したイベントで出会った、同年代の女性との出会い。
彼女は2児のママさんで、教員として働きながらも食育を広めるためのコミュニティでイベントの企画や運営をしていて、さらにはInstagramのフォロワー数が5000人もいるという、とてもアクティブな人だった。
仕事か、子育てか。子どもが生まれたら、どちらかに偏ってしまうのだろうなと思っていたわたしにとって、彼女は「希望」そのものだった。明るくエネルギーに満ち溢れていて、なによりとても楽しそうに生きていた。
彼女のように、仕事も子育ても自己実現も趣味も全部楽しめたら、これからの未来も明るいかもしれないな。
もちろん陰では途方もない努力をしているだろうし、泣きたくなることも、投げ出したくなることもたくさんあると思う。だけど、わたしも彼女のように「楽しむ」心構えでこれからはじまる新しい暮らしを紡ぐことができたら、きっと人生がもっと豊かになるのだろうなと思った。
また夢ばかり追って、高い理想を掲げて生きようとしているのか、と笑われてしまいそうだけれど、この3年間わたしのことを見てきた夫にも「ななみはやっぱり頑張りたいんだね」と言われてしっくりきたから、たぶんそういうことなんだと思う。わたし自身が、そういう自分がいちばん好きなのだから、これはもう仕方がないのだろう。
だけど、それは決して自分の心身を削るような頑張り方じゃなくて、蹴伸びのように力を抜いた状態で、ゆるく長く続けられるような状態をつくれたらいいなあと思っている。
そう思えただけで、彼女と出会えてよかったし、なにより夫に連れられてイベントに参加してよかった。今年は、少しばかり腰が重くても、誘われたらとりあえず足を運ぶ。そんな心持ちを忘れずにいたい。
2025年、新しい日々に向けて
休職も、妊娠も、家探しも。2024年が幕を開けた時には、全く想像していなかったできごとばかりだ。それらを経験した今のわたしも、1年前に想像していた自分とは、きっと少し違っている。
そんないまの自分は、現実を受け入れたうえで、新しい人生のはじまりに向けて水面下で準備をしている。そんな状況だ。
自分が思っていた以上に、頑張れなかったこと。思い描いていたほど、成功は簡単ではないこと。どんなに気持ちが強くても、身体が動かなければ何もできないこと。
そんな現実を受け止め、時には受け流しながら、それでも希望を捨てずに進んでいくことは、これから母になり、いろいろな面で思うようにいかないことが増えていくであろう人生で、大切な力なんじゃないかと思う。
母親という新しい役割が自分の中に増えたって、わたしの根本は変わらない。だったら自分と向き合いながら、毎年気づいたこと、分かったことを次につなげて、よりよい選択をしていくしかない。
2025年、一体どんな1年になるのだろう。きっとまた、想像もできない日々が待っている。
何があっても、来年の今頃は「去年も波瀾万丈だったな〜」と笑えているのだろうから。安心して、新しい日々へ出発しよう。
岡崎菜波 / nanami okazaki
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