幼くなったんじゃなくて、自分が戻ってきただけだった。
「なんだかわたし、歳を重ねるにつれてどんどん幼くなってる…?」最近、そんな考えが頭をよぎることがある。
自分を俯瞰してみたときに、前よりも人に甘えることが増えたし、人間関係のしがらみから自由になってきているなあと思うことが、わりと高い頻度である。
25歳、社会人4年目。
もういい大人なのに、「年齢と逆行してる…?」と、少々不安になる。
大人に近づけば近づくほど責任は重くなるし、ルールや世間体を気にする機会は増えてくると思っていた。
けれど最近のわたしは、自分の心の声がどんどん大きくなってきていて、頭よりも先に前に出てくることが、格段に増えていた。
どうしてこんなことが起こっているんだろう。
これは果たしていい変化なのだろうか……?
気になり出したら止まらなくなって、わたしは大学時代から今日までの自分を、振り返ってみることにした。
「甘える」「頼る」ができなかった、学生時代
最近の、自由奔放でわがままな自分の姿を学生時代の自分が見たら、驚くのは間違いない。
学生の頃のわたしは、大体の人間関係において相手に「甘えられる」「頼られる」存在だった。(今も、完全に真逆になったわけではないのだけど。)
後輩や同世代の友人たちには「お母さんみたいだよね」と言われることが多く、歳上の人にも「大人だねえ」と後ずさりされることがほとんど。
人に弱みを見せられないこと、甘えられないことを、本気で悩んでいた時期もあった。
そんな学生時代のわたしを顕著に表しているのが、就活時代だった。
「誰かのために」が口癖だった、就活時代
就活をしていた頃のわたしは、「自分の価値は、自分が誰かに対して行ったこと(DO)に対し、他者が判断して決まるもの」だと思っていた。
「自分ができること(社会に与えられる価値)」を企業の人事に伝えないといけない、という就活ならではの事情もあったのだとは思う。
当時のわたしは今よりも、一つの考え方に縛られて周りが見えなくなるタイプだったので、この考え方は日常生活にもすっかり浸透してしまっていた。
だから、友達でも恋人でも初めて出会った人でも、常に「自分は相手に何を与えられているんだろう?」と考えながら過ごすのが、当たり前だった。
日常生活にも浸透していた「相手に価値を与える」という考え方
ゼミにインターン、大学のサークル。当時所属していたコミュニティには純粋で温厚な人しかいなかったし、わたしがそういう考え方で日々生きていても、まったく何の問題もなかった。
だからいつも、「たまには甘えたいな…」とか「誰かに頼りたいな…」と思うことがあっても、「いやいや、自分の立ち位置はここだし」と思い直して、役割をまっとうしようと思ってきた。
それに、結局大好きな人たちに頼ってもらえることは嬉しかったし、「必要とされている自分」を確認するたびに、安心感を抱いてもいた。
今考えてみると、どのコミュニティも「相手が行ったこと」だけで何らかの判断を下すような人は、いなかった。(だから社会人になった今でも、仲良くしている人はとても多い。)
けれど、当時はあまり深く考えず、当たり前のように「自分が彼らに対して価値を与えられているから、一緒にいられるのだ」と、信じ込んでいた。
自分の価値を見失った、社会人1年目
「甘えられない」「頼れない」自分でも、いい友人たちに恵まれて、自分なりの役割を貫きながら毎日楽しく過ごしていた学生時代。
社会人になり、事態は急変する。
「新人賞を取る!」「自分にしか出せない価値を発揮するんだ」なんて意気揚々と入社したわたしは、配属直後、その鼻を挫かれ、身も心も玉砕することになる。
日々の業務ではまったく自分の価値が発揮できず、「価値を与える」どころか「迷惑をかける」ことしかできない。
そんな状況で自分の色なんて出せるわけもなく、デスクに座っている時間の大半は、修正作業と反省のための文章作成をして過ごしていた。
慢性的な睡眠不足、過度の緊張感と降り積もる自責の念。朝から日付が変わるまで同じ体勢でデスクワークを行っていたことによる、運動不足に眼の不調。
立て続くミスに削られていく精神、もう絞っても出てこないのにさらに搾り取られる自尊心。一方で、増え続けるのは仕事の山と、体重計が示す数字。
日々、自分が生きることに精一杯で、他人の幸せなんて、とてもじゃないけれど考えることができなくなっていった。
本当は、誰かを頼りたかった。だけど頼り方がわからなくて、どんどん殻に閉じこもるばかり。
一人で深い穴に潜り続けることしかできなくて、まわりからは「プライドが高い」「そろそろ、自分ができないということを認めたほうがいい」と言われ、また自分を追い詰める。
もうこれ以上差し出すものはないのに、自分の身体から何かが吸い取られていく。それをただ力なく見つめていることしかできず、長くて短い、社会人1年目が終わった。
"懐かしい自分"に再会した、社会人2年目
生きることで精一杯。もはや、自分がまだ生きているのかすら、分からなくなってきた。
そんなわたしにも、ちゃんと救いの手は現れたのだから、あの時、生きることをやめなくて本当によかった。
これは今まで何度もnoteに書いている話なのだけど、1年目が終わり、春になって、とある先輩と運命的な出会いを果たした。
初対面のその人を前に、わたしは5時間も自分の好きなことや大切にしている価値観について喋り倒す。
あの日はもしかすると、別の人格が乗り移っていたのかもしれない。生死を彷徨っていた自分とは思えないほど、熱を帯びて輝く自分がそこにいた。
「ああ、そういえば小さい頃、こんなことが好きだったな」「小学生の頃は小説家になるのが夢だったな」とか、懐かしい自分がどんどん現れて、脳内ではひとり同窓会が開催されていた。
(5時間も話を聞いてもらったのに、なんて自分勝手なんだ…という感じではあるのだけど、先輩はそれくらい、聞き上手な人だった。)
"素に近い自分"で働けるようになってきた、社会人3年目
その結果、わたしは「自分が好きだったこと」や「心からやりたいこと」を掘り起こすことができて、目の前に道が開いた。
そしてその年の終わり、わたしは思い出したばかりの「小説を書く」という幼い頃の夢に一歩近づいて、おまけに転職も決まった。
転職は想定外だったけれど、どんなに小さなことでも「すばらしい」と言って褒めてくれる上司の存在や、それぞれが自由気ままに個性を生かしながら働くことができる部署の雰囲気には、心底救われている。
(転職したての頃は、「こんなに働きやすい職場があっていいんだろうか…」と、毎日感動しながら帰路についた。)
そして、最近では少しずつ、上下関係にある人に対しても「好きなこと」や「やりたいこと」、「なりたい自分」について自然に話せるようになってきている自分がいる。
先日も、「文章を書く仕事がしたくて」と無意識に口にした自分に気づいて、「最近のわたしは、周りの目よりも心の声が先に出てくるようになっているのかもしれないな」と思った。
憧れている上司に褒められるとやっぱり嬉しいし、期待されると「がんばらなきゃ」と自ら進んで負荷をかけてしまうことも、まだまだ多い。
だけど、少なくとも学生時代や新卒の頃よりは、「自分の心の声」を聞きながら、楽しく頑張ることができているのかな、と思っている。
自由に生き始めた社会人4年目と、これから。
先輩との出会いで取り戻した本来の自分と、それを維持できる、自由でのびのびと働くことができる職場。
この2つのおかげで、わたしは「好きなこと」「できること」だけではなくて、「苦手なこと」「できないこと」も人に言えるようになった。
たとえば、業務に忙殺されて心を見失いそうなとき、「今月、ちょっと忙しくて…」と弱音を吐けるようになった。(それでも「ちょっと」と言ってしまうあたりは、まだまだなのだけど…。)
自分の中で、これはかなり頑張ったなと思ったときも、「頑張って考えました!」と言ってしまうこともある。
以前は「人に努力しているところを見られてはいけない」という謎の強迫観念で、キャパオーバー寸前のときも、平気なふりをしていた自分。
あの頃の自分は、弱い部分や欲を隠して、他者から求められていることにひたすら応え続けることが、「自分の価値」だと勘違いしていたのかもしれないなあと、今では思う。
最近はむしろ、まわりの友人や大手企業に就職した妹たちを見ていて、「もしかしてわたし、自由すぎる…?」と思うこともあって、少し気を引き締めなきゃな、と思っているくらいだ。
(家族にもよく、働き方や生き方について、「あんたは本当に自由だねえ」と呆れられる。)
こうして振り返ってみると、前よりも幼くなったわけでも自由になったわけでもなくて、ただ本来の自分に戻っただけなんだろうなあ、と思う。
今になってようやく、自分を取り戻したんだなと、近頃は開き直っているところだ。
もちろん、常に謙虚ではいたいし、頑固に自分を貫き通すことで視野を狭めたくはない。
だけど、今まで自分の感情に蓋をしてきた分、自分の心や身体を縛りつけていた分、しばらくはこのまま素直に、自由に生きてみてもいいのかなあ、と思っている。
なによりも、今の自分のまわりには、それを肯定してくれて、見守ってくれる人たちが、ありがたいことにたくさんいるのだ。
その幸せに日々感謝しながら、そういう身近な人たちに愛を持って接して、もう少しだけ、その優しさに甘えさせてもらおうかな…と、こっそり思ったりしている。
そう思わせてくれているすべての人に、愛を込めて。
この記事が参加している募集
いただいたサポートは、もっと色々な感情に出会うための、本や旅に使わせていただきます *