自由を求めてひとりを選んだ私が今日、結婚をする理由
「結婚しました。」
この言葉を聞いたら、2年前までのわたしを知る人はきっと「え、ななみんが結婚?!嘘でしょ?!」と驚くだろうなあと思う。
この事実に驚いているのは、わたしも同じ。
婚姻届を提出した今だって、「結婚」という言葉はなんだかくすぐったくて、遠い世界のできごとみたいだ。
そもそも、2年前までのわたしにとって「結婚」とは、自ら先延ばしにしていた未来だった。
いつかはするのだろうな、と漠然と思ってはいたけれど、積極的に望む選択肢ではない。
そう考えると、彼と結婚をした今のわたしは、あの頃とはまるで別人だ。
生まれ変わったのかもしれないと思うほど、価値観も考え方も、180度違う。
彼と出会って結婚するまでの2年間。
一体、何があったのか?
はじまりは、失恋をきっかけに始めたこのnoteだった。
自由になりたくて、恋人と別れた2年前
物心ついたときから恋愛体質だったわたしは、すぐ人を好きになってしまう性格で、常に誰かに片想いをしていた。
それは大人になっても変わらず、相手に恋人がいようと、遊び相手として見られていようと、理性で好きな気持ちを抑えることなんてできない。
遠距離や復縁を経て、4年近くわたしのことを大切にしてくれていた恋人とも、
「結婚するまで、残りの時間は自由に過ごしたい」
「自信を持つために、これからは自分の成長のために時間を使いたい」
というなんとも身勝手な理由で、お別れすることになった。
「何にも縛られず、自由でいたい」
「だけど、ひとりは寂しい。仲間がほしい」
そんな矛盾するような想いを抱えながら、絶え間なく恋の泥沼に飛び込み、息ができずにもがいている。
それが、2年前までのわたしだった。
noteという、自由に呼吸ができる場所
noteをはじめて書いたのは、社会人2年目の春のこと。
当時好きだった人に想いを伝えようとした矢先に、連絡が途絶えてしまったのがきっかけだった。
本人にも伝えることができず、誰にも知られることのないこの気持ち。
その感情はたしかにここにあるのに、いつか消えてしまったら、なかったことになるのだろうか?
……そんなの、いやだ。
伝えたい、だけど誰にも伝えられないこの想い。
それをひとりで抱えきれなくなったある夜、行き場をなくした感情をこの世界に残しておくために、24歳の誕生日の夜、はじめてnoteを公開した。
それから2年間、恋愛にとどまらず、心に生まれた感情を「言葉で紡ぐ」という方法で、わたしはなんとか生き延びてきた。
当時のわたしにとって、noteは日常のなかで唯一「自由に呼吸ができる場所」だったのだ。
本当に欲しかったのは、自由でも成長でもなかった
文章を書いている間だけは、「自分のまま」でいられる。
誰の目も気にせず、取り繕うことなく、感情を言葉にする。
その行為を通して、水中を泳ぐ魚のように、大空を羽ばたく鳥のように、わたしは自由に呼吸をすることができた。
そんな「どこか満たされない」わたしが本当に求めていたものに気づかせてくれたのは、彼だった。
転職先の会社で、働き始めて1年が経った頃。
全社朝礼の自己紹介でわたしがnoteを書いていることを話したのがきっかけで、彼はわたしに声をかけてくれた。
彼とはじめてふたりで会った夜のことは、今でも鮮明に覚えている。
あの日彼からもらった言葉は、わたしがずっと、心の奥底で求めていた言葉だった。
「ななみは、生きてるだけで可愛いんだよ。そのままでいいんだよ。そのままが、いいんだよ。」
春の夜風に吹かれながら、ふたりベンチに並んでいた。そして、ふとわたしが弱音を吐いたときのこと。
右隣に座る、彼のまっすぐな言葉と真剣なまなざしは、それが決してお世辞ではないことを物語っていた。
わたしは夜に紛れて、ほんの少しだけ涙を流した。
このとき、はじめて気づいたのだ。
わたしが求めていたのは、刺激的な恋でも、ひとりで生きることで得られる自由や成長でもなく、「自分のままでいいんだ」という実感だったのだ、と。
「価値ある自分でいなきゃ」という呪縛
とはいえ、ほぼ初対面だった彼に「そのままでいいよ」と言われただけで、そう簡単に「じゃあ、今日からはありのままで生きよう!」なんて前向きになれるほど、単純な話ではなかった。
「このままの自分じゃだめだ。もっと成長しなきゃ」
「価値のある自分でいるために、努力を続けなきゃ」
「〇〇しないと、愛されない」というわたしの価値観は根深くて、たった一度の誰かの言葉で、25年間かけて培われた考え方がひっくり返ることはなかった。
そもそもこの価値観にとらわれていたのは、過去にトラウマがあったから。
3歳のときに双子の妹たちが生まれ、それまで独り占めしていた、自分への関心や愛情が一瞬にして移り変わってしまった。
その経験から、わたしはずっと、無意識に不安を抱えて生きてきたのだと思う。
相手にとって価値のある自分でいないと、愛されない。
期待されていることができなかったら、見捨てられてしまうかもしれない……。
そんな恐怖が心の奥底にあったから、家でも学校でも職場でも、「理想の自分」「相手に期待される自分」に合わせて振る舞う癖が染みついていた。
わたしにとって「相手の顔色を窺わない」「期待を超えられない自分を見せる」行為は、もはや死に至ることだったのだ。
そんな臆病なわたしは、彼の前でもなかなか弱みを見せられず、付き合ってから最初の数ヶ月は「優しく話を聴く、いい彼女」であり続けようとした。
ところがある日、そんな「聴き続ける」状態に限界がきた。そして、深夜に長文LINEを送ってしまった。
ああ、こんなことをLINEで急に伝えたら、面倒なやつだと思われるかもしれない……
もっと早く言って欲しかった、と怒られるかもしれない。どうしよう。怖い……
でも、自分ひとりではもう抱えきれない。ああもう、送るしかない。送信ボタンを押してしまえ……!
そんな葛藤の末、彼に想いを伝えたら、翌朝返ってきたのは想像の斜め上の言葉だった。
「伝えてくれて、ありがとう!ななみのことが知れて、嬉しいよ。」
嫌われたら、どうしよう……。そんな不安がすべて吹き飛んでしまうくらい、カラッとした返事。
このときわたしは、彼の懐の深さを知ると同時に、
「わたしが感じていることや思っていることを伝えると、こんなに喜んでくれるのか……!」
という事実に、衝撃を受けていた。
別々のふたりが、一緒に生きることを選んだ
そんな彼との日々は、わたしが想像していた以上に刺激的で、驚きや発見の連続だった。
彼と出会う前、わたしは
ひとりの人に依存するのは怖い。それに、世の中に完璧な人はいないのだから、複数の人と関係性を築くほうがいい。
という考えのもと、異性と広く浅い関係性を築こうとしていた。
もちろん、最初からそうだったわけではない。
昔は、誰かひとりを愛して、同じようにその相手にも愛されることが理想だった。
だけど、3年間一緒にいた恋人に心変わりをされた経験や、4年間過ごしていてもお互いの気持ちを理解できずに別れを選んだ経験から、自分と違う価値観の人と向き合うことを、無意識のうちに避けてきた。
誰かとぶつかり合うのが、怖かったのだ。
もう、大切な人を傷つけることも、傷つけられることも、どちらもしたくなかったから。
恋愛の楽しいところだけを救いとって、できる限り長く、その時間を楽しむこと。
嫌なことや都合の悪いことには目を瞑って、一緒にいる時間だけ、相手に集中すること。
それが当時のわたしが選んだ、自分の心を守るための術だった。
だけど、それが心から幸せな選択だったのかと聞かれると、そんなことはなかった。
深夜に相手と別れた後、ひとりで乗るタクシーから見える六本木の夜景は虚しく映った。
どんなに美味しい食事をご馳走してもらっても、好きな人と一緒に囲む食卓ほど、あたたかい感情が生まれてくることはなかった。
彼とはこの2年間、何度も価値観の違いによる話し合いをしたし、それによってお互いが傷つくことも何度かあった。
だけど、それをふたりで乗り越えるたび、
「もっと仲良くなった気がするね」
「やっぱり、わたしたちは最強だね」
と笑い合えることが、ほんとうに心強かった。
違和感を抱いても一切衝突せず、楽しい時間だけを一緒に楽しみ、苦しいときはひとりで抱えるしかない。
そんな上辺だけの関係性と比べると、たしかにぶつかり合うのは心が消耗するし、できるだけ避けたいこと。
だけど、一緒に苦しみを分かち合ったり、お互いの価値観の違いからくる試練を乗り越え続ける過程で、ふたりの絆は深まっていく。
そのことを知ってからは、長期的にひとりの人と深い関係性を築いていくほうが、心が満たされるかもしれないなあと思うようになった。
「自分と相手は、こんなにも違うのだ」という事実に打ちのめされながらも、諦めず、理解しようと歩み寄ること。
別々の人生を生きてきたふたりが、一緒に生きていくために、相手と向き合い続けること。
それは、ほんとうにほんとうに、忍耐が伴う作業だなと思う。
けれど、楽しい時間だけを複数の人と共有するより、何倍も楽しく、そして幸せなことでもあったのだ。
ふたりだから、自由になれた。
気づけば、あれから2年が経とうとしている。
彼と出会って、わたしは色々なことから自由になることができた。
「価値のある自分でいなきゃいけない」という自分自身の呪縛から。
「結婚は、自由を奪うもの」という不安や恐怖から。
「もっと評価されるために、頑張らなきゃ」という焦りや自信のなさから。
彼と出会って、できるようになったこともたくさんある。
「キラキラした自分」という周りからの評価を捨てて、「弱くて自信のない自分」をラジオで打ち明けられたこと。
noteを書いていることを、これから一緒に働く人たちに、初対面から話すことができたこと。
10年以上、食べ物の写真しか載せていなかったInstagramに、飾らない自分の写真を載せて友人に驚かれたこと。
ただの憧れだった京都に「住む」という決断ができたこと。
そのどれもが、彼と出会う前は想像もしていなかった未来だった。
「結婚って、ふたりで自由になるためにするものなんだよ。」
付き合って間もない頃、彼が口にしていたこと。それは本当だったのだなあと、今では思う。
結婚をして家庭を持つと、物理的に自分の時間が減ってしまうから、自由が制限される。だから、20代のうちはひとりでいたい。そう思っていた。
けれど、彼と一緒に過ごすうちに、ふたりでいたら、自分ひとりではできないことがこんなにもできるのか、ということを知った。
何よりも、自分の心に正直に、自由に生きている彼をみていると、自分も心に正直でありたい、わたしも自由に生きられるかもしれない、と希望が湧いてくる。
彼と一緒に、この先の人生も生きてみたい。
そう思えるのは、彼がわたしに大きな自由と、夢を叶える力をくれたからだと思っている。
ふたり並んで、歩いていく。
彼と出会うまでは、恋人がいても
「もっと自分のことを分かってくれる人がいるんじゃないか…」
「もっと魅力的で尊敬できる人がいるんじゃないか…」
と感じることも多く、目の前の人が自分にとって最高のパートナーと言えるのか、判断することができなかった。
だけど、そんなわたしでも、自然に「彼以上の人はいないなあ」と直感的に思える人と出会えたのだから、結婚ってそういうものなのかなあ、と今では思う。
結婚しても、他に好きな人ができることもあるよなあ……なんて思っていた2年前の自分が嘘のように、彼の悲しそうな顔を想像するだけで、絶対に傷つけるようなことはしない、と心に固く誓っている。
ここ最近の願いは、彼がずっと元気に生きていてくれること。それだけだ。
彼の笑顔を、守りたい。
無邪気で、純粋な彼の心を守れるのなら。
そんな彼の隣に、ずっと一緒にいられるのなら。
それ以上の幸せなんて、ほかにないのかもしれない。
「もしかして、これが愛なのかな?」なんて思いながら、今はほんとうに、その願いが大部分を占めていることが、幸せだなあと思えてならない。
今日から、人生の第2章がはじまる。
この先はどんな日々が待っているのだろう?
絶望から抜け出せない夜も、悲しみの渦に巻き込まれることも、あるのだろうけど。
どんなときも手を離さずに、ふたり並んで歩いていきたい。
明日も、明後日も。その先も、ずっと。
▼「彼」目線のストーリーはこちら。
岡崎菜波 / Nanami Okazaki
Instagram:@nanami_okazaki_
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