暗闇を食べて、光をくれた人
明るすぎる世界で急に心細い気持ちになったとき、必ず思い出す人というのがいる。
その人は、大学に入りたての頃、唯一自分をすべて見せられる相手だった。
彼とは一年生の頃、サークルの新歓で出会った。
カフェテリアの一角ではじめて彼と目が合ったとき、「あ、この人は、わたしのことをわかってくれる人だ。」と、なぜか直感したことを覚えている。
デフォルトで眉が下がって困ったような顔をしていて、なんだか情けない表情をした人だな、というのが第一印象だった。
それでいていつもへらへらと笑っているものだから、余計に「弱みにつけ込まれそうな人だなあ」と思った。
案の定、彼の周りにはわたしがそれまでの人生で出会ったことがないような、本当にこの世にそんなことを起こす人たちが存在しているのかと思うような人たちがわんさかといて、頼られているようだった。
一緒にいるうちに、どうしてそんなに弱く、暗い人たちが彼を求めるのか、なんとなくわかってきた。
彼は人の弱さや暗さ、汚い部分を、夜明けに朝がくるのと同じように、川が上流から下流に向かって流れてゆくのと同じように、当たり前に受け入れていた。
それがなんとも心地よくて、安心できて、あれ、もしかして自分は、特別弱く、暗い人間というわけじゃないのかもしれない、と思えるようになってくる。
どんなに深刻な表情で悩みを打ち明けても、結論のないどろどろとした沼のような相談を持ちかけても、ただ小さな風が吹いてきたかのごとく、少しだけ眉を上げて、口元を緩めるだけ。
その後は、一言ぼそっと何かを言うのだけど、それはあまりにも自然な一言で、今となっては何を言われたのかほとんど覚えていない。
覚えていないということは、そんなに大したことを言っていなかったということだろうと思う。
そこで何を言われたのか、ということよりも、彼が当たり前のように受け入れ、受け流しているその心に、感動に近い、強い安心感を抱いていたのだろう。
彼と定期的に顔を合わせることがなくなった今となっても、わたしの暗い部分を理解してくれるのは、そんなのなんてことない、みんな同じだと心から思わせてくれるのは、彼だけだった。
だから、周りの人があまりにも明るくて、その眩しさにふいに心細くなったとき、彼のことをいつも思い出してしまうのだろうと思う。
彼とくだらない話をしていると、ああ、人間ってみんなそんなものだよなあ、と思える。
そして、さっきまでぐずぐずと悩んでいたことが、どうでもよくなる。
そんな風に、前向きでも後ろ向きでもない、穏やかで正しい気持ちにさせてくれる人は、彼しかいないのだ。
連絡を取り合わなくなってから、しばらくが経つ。
たまに、彼は今でも、たくさんの人たちの暗さをスポンジのように吸収しているのだろうか、と思うことがある。
へらへら笑って漂うように生きる彼も、心が引き裂かれて、どうしようもない気持ちになることがあるかもしれない。
それとも、今は明るい人と一緒にいて、幸せに暮らしているのだろうか。
どちらでもいいから、どこかでちゃんと生きていてほしい、と思う。
身勝手な願いだけれど、いつまでもあなたは、わたしの光だから。
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