きっと、どこかの誰かの世界には存在しているから。




一週間ぶりにInstagramを開いたら、フォロワーが4人減っていた。

減ったフォロワーの数が正確にわかるなんて、なんだかとても器の小さい人みたいで悔しいし、少しだけ惨めな気持ちにもなる。

だけど、数週間前までは毎日見ていた数字だったから、自然に頭に残っていたのだと思う。

この一週間で、離れていってしまった4人は一体どんな人たちだったのだろう、なんて考えながら、しばらく自分の手元に残った数字をぼんやり見つめていた。




ここ最近は仕事がほんとうに忙しくて、日々、生きるのに精一杯だった。そうこうしているうちに、SNSを開くのが段々億劫になってきて、どのSNSもここ一週間ほとんど開いていなかった。

そして昨日久しぶりにInstagramを開いたら、見事にフォロワーが減っていた。

たったの4人だし、一週間更新しなかっただけで減るフォロワーなんて、初めから自分には必要なかったんじゃないか。

本当はそんな風に強気でいたいところだったのだけど、わたしはこの時なんとなく、ああ、この世界では、一週間誰かの日常に触れることがなければ、すぐに忘れられてしまうんだなと知った。

そして、冷静に考えてみるとそんなの当たり前のことだよなあと、納得もした。





オンラインの世界では、この一週間、わたしは誰の日常にも存在していなかったことになる。

一週間あったら色んなことが起こるし、終わることも、はじまることもある。

常に新しい出会いや情報がどんどん押し寄せてくるから、代わりに捨てないといけないものや、手離さないといけないこともたくさん出てくる。

その中で、会わなくても、話さなくても、誰かにずっと覚えていてもらえる、というのは、簡単なことじゃなくなってきている。そんな気がする。

今までは、ビジネスの中だけの話だと思っていた。商品やサービスが顧客に覚えてもらえるように、好きになってもらえるように、接触機会を増やしたり、親和性の高そうなユーザー層にメッセージを発信したり。

そういう努力は、今は企業だけじゃなくて、わたしという人間自身にも必要なことなんだ。

少し前から薄々感じていたことだったけれど、今回のことを通して、ようやく実感として、この事実をはっきりと理解した。





オフラインの世界だけじゃなくて、オンラインの世界でも、ちゃんと自分が存在していることを、発信しないといけない。そうでないとわたしは、その世界からいなくなってしまうかもしれない。

そのことは、理解している。
けれど、どうしても違和感は拭いきれない。

だってわたしはこの一週間、オフラインの世界では全力で生きていたのだから。それは、紛れもない事実なのだ。

オンラインの世界では存在がなくなっていたかもしれないけれど、こちらの世界では、たしかに、生きていた。

きっと、この世界では誰かの心に触れていたはずだし、誰かの記憶に残っているわたしもいるだろう。

だとしたらわたしは、完全に世界から消えてしまうことは、この先もないんじゃないだろうか。

きっとどこかの誰かの世界には存在していて、わたしのことを、一瞬でも思い出す人がいる。

そう思ったら少し、心が軽くなる。

ほら、わたしはちゃんと、ここで生きていたじゃないか。そう言って、自分の肩をぽんと叩いてあげたくなる。





世界は一つだと思うこともあるけれど、今は、一つじゃないんだとも思う。

そう思えることが心強くもあり、なんだか身軽になったような気にもなる。

たくさんの世界を軽やかに渡り歩いて、わたしは日々をもっと自由に生きていたい。

誰かに知ってもらうためでも、思い出してもらうためでもなくて、自分の心が弾むかどうかで、進むべき道を選んで歩いていきたい。

そうやって素直に、気ままに歩いているうちに、いつか自分の世界が一つになったらいいなと思う。

そんな日がくるのも、もしかすると、そう遠くはないのかもしれない。

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