薬物中毒患者の気持ちが分かるし何ならそれは治さなくて良いだって現実には絶望しかないからそいつにとって
私は統合失調症でドーパミン系統がぶっ壊れてるらしい。薬がなければお花畑の世界に行けるのだが、周囲はそれを望まず私を現実という内側に刃のついた檻の中に入れたがる。逃げ出せるのはほんの数時間。ルネスタという弱い睡眠薬を飲んだときだけだ。それは本来睡眠導入剤として処方されたのだが、私はそれを飲んでも眠くならず、むしろなぜだか幸福な気分になって元気になりいろいろやれるので、幸福な気分になりたいときに飲むようにしている。
これって、コカインヘロインキメてる廃人とあんまり変わらなくね?彼らは薬物をやめればまともな人間になれると皆そういう信仰を持っているのだが、果たしてそれは本当だろうか?もともとこの世界にうまく適応できる人間が、自らの意思で気持ちよくなれる薬を欲するだろうか?
理不尽なことを言わない両親がいて
怒鳴り声が聞こえない夕べがあって
おいしいご飯が食べられて
学校では特に悩みもなく
裏庭で殴られてる誰かを窓からぼうっと見下ろして
私でなくて良かったと
美しい言葉の書かれた本を一冊だけ
持ち歩いてはセンスの良い服を着た友達と
コーラかなんか飲んで
真夏の日差し
青い海
死の影はどこにもいない
眩しい生活
憂いさえスパイスに
冬は燃える火に不自由しない
私は雪うさぎのように
店ごとに奇麗なものを見る
薬物中毒者は、薬物を辞めて、元薬物中毒者の集いに通い。そこで己の過ちについて語り合うらしい。仕事を始め、それはたぶん最初は最低賃金のつらい仕事だけど、彼はどの道薬物に手を染めなくてもそういう仕事しかできなかった。でも彼の胸のうちにはつらい仕事への最高の言い訳がある、自分が弱くて誘惑に負けた罰。俺はあいつらとは違う。罪の男である。
私達はオリジナリティをそういうことに見出す。人より劣ってること、人より汚れていること、人より罪が大きいこと。それが私達のアイデンティティとなる。私達はそれで満足か?満足なのだ。驚くべきことに私達は満ち足りている。薬からの多幸感がなくなっても、私達は普通の人々、と彼らを呼び、区別し、私達の特別性に酔って生きていくことができる。たまに酔いが醒めて死ぬ人もいる。
私達はあなたたちの知らない
痛みを知っている
不幸を知っている
血を流し
涙で呼吸困難になって
こんなこともできないのか
そんなこともできないのか
よけいなことをするんじゃない
それはまちがっている
お前のすることはすべてまちがっている!