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わたしのちょっと前までの口癖、第一声は、「   」。本音は全然違うんだけど。

本当に伝えたいことは、言葉じゃない。言葉じゃなくても伝わる「何か」。形作るものがなくて、言葉以外での気持ちの伝達の方法がわからないわたしは、文字なり文章なり、見える形にして相手に伝わるように届ける。
でもね、本当に届けたい形は何なのか、そもそも言葉なのかと問われると違うんだ。

不思議に思うかもしれない。
届けたい言葉は言葉にならない、って何言ってんの? って思われてもいい。わたしが表現したい心の色は、心の景色は、非言語コミュニケーション。

声にならない声が涙になり、頬を伝う涙が優しさに変わるみたいに、
感動した気持ちが満面の笑みに変わるように
わたしは、言葉にはできないことだから伝わるものを伝えたい。

言葉って、相手との誤解を解く力を持ってるし言語ひとつで海の向こうの人ともコミュニケーションが取れるし、仲間が増えるし、自分はひとりじゃないって思えるし、いいことばかりのように思えるよね。
でも、そうじゃないとわたしは思う。

言葉だから伝わるということは、本当に伝えたいことはその「音」(言葉)以外のどこかにあるんじゃないのかなと思うのです。

なのに伝えたい内容や話したい事柄、本当にキャッチしてほしい情報は、言葉にされることによって削がれていく。

言葉にしたら伝わるけれど、芯の部分は、置いていかれている気がして(伝われ)。

だからなのかでもなのか、話にいつも寄り添ってくれる相手の方に半分以上の確率で言われる言葉がある。
大丈夫?」と。

「大丈夫」自信もってそう言える場面が最近は増えてきたけれど、少し前までは自分に大丈夫な振りをさせて、周りにも、大丈夫じゃないと感じさせないくらいの演技力で強い人を演じてた時期があったの。

二面性、気持ちのバランス、心の健康、とでも言えばいいのかな。
それらがいっとき、一定に保ててなくて不安定で、大丈夫じゃなかったのに、「大丈夫?」顔を覗かれ聞かれると、わたしの答えは決まって「大丈夫、です」だった。

ちょっとだけ素直になって、「ぼちぼちですねぇ」とか言うこともできてはいたけれど、相手は、そのメッセージをどう受け取るかわからないし、まさかわたしなりのSOSのサインだなんて思いもしないだろう、と今なら考えることができる。

心と身体は、正直者で嘘がつけない仕組みになってる。わたしは小さいときから体調を壊すとすぐに熱の花が出て、普段できないものができたってことで気持ち悪く感じていた。

今は大分、治ったけれど自分に嘘をつき続けてきたわたしだからこそ、「やっぱり、大丈夫じゃなかったんだね」と自分自身を見直すきっかけになった。

心の中では泣いていても、表情は笑顔だとか
泣いてるのに笑顔出さなきゃとか
自分の感情に蓋をしたくなること、日常でたくさんあると思います。

あなたが自分よりも他人のことを第一に考えたいなら構わないけど、自分が幸せになることで、周りも一緒に巻き込みたいのであれば、
あなたが先に、幸せになると、周りにいる人もめっちゃ笑います。際に、あなたが幸せになる番です。

これは完全に余談なんだけど、わたしみたいに「大丈夫?」って聞かれた言葉に対してラリーで「大丈夫! 大丈夫!」って返してしまう人は、自分が心に元気がない状態に気づいていないこともあるんだって。

その質問をする人も、「あなた、元気がなさそうよ」
「何かあった?」の質問として「大丈夫?」を用いるんだということ。
大丈夫、と問われたから絶対にその言葉で返事を返さなきゃいけないなんてルールはないからね。安心してね。

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