「また明日」ってあと何回言えるだろう? わたし達に実は、“明日”など約束はされていないことを知る。
去り際に告げる、「また明日」「またね」「バイバイ」の言葉達。わたしも友達とか仕事仲間に何度も使って来たけど、ふと、思った。
「あと何回、言えるかな?」
病気や疾患を患っていて余命があるないに関わらず、なぜかわたし達は約束をされていない「明日」と結ばれていたいために、「あるもの」と甘い認識をしてしまう。
人生百年時代とか言われるようになって
明日があることが当たり前
毎日更新されることが普通で、
その「普通」の日常をくれなかった神さまはなんて不公平なことをしてくれたんだと怒り出す。
最終話まで主人公は登場する、と教えられてきた物語が急展開。
実は主人公は留学にずっと行きたかったけどそれができなくて、今夢が叶うときなんだ、今が動き出せる瞬間なんだ、ということに気づけず「いなくなった主人公」だけに焦点が当たってる…
そんな気持ちじゃ、ないですか?
幼い命でさえも、“明日”はないのかもしれない。
お父さんやお母さんと会えなくなるかもしれない未来のなか(生死だけじゃないけど)で、必死に今を生きてる。
過去は、過去
終わったこと
と割り切れる人もいるかもしれないけど、
わたしにとっては過去の集合体が今だから、
どう転んでもいいように、存分に今を面白がりたい。
飽きたら一生そのことについて振り返らないわたしが、一番好きなことをこうして続けられてるのはあなたのおかげであり、スマホとの出会いが大きい。
ひとたび味方を見つけると、そこからの行動力にエンジンがかかるんだなぁ、って「また明日」と
約束さえされていない未来とわたしの日記を閉じる🔓
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